アルゼンチンつれづれ(1) 1978年09月号

サッカー世界選手権

 思い立ってアルゼンチンに移り住み、十二回目の冬のさなかとなりました。
 向う岸の見えない、常に黄土色豊かに流れてゆくラプラタ河からの、湿度に満ち満ちたブエノスアイレス。
 霧、靄、その湿度が雨を呼ぶのか、雨また雨の六月、七月を過しています。
 京都のように碁盤割の町並、どの道にも両側に、子供たちが三輪車で遊んだり、買物がてらの人たちが立話をしていても十分ゆとりのある歩道がついていて、自動車を恐れることはありません。
 それぞれの道に、それぞれの並木が植えられ、駆足で通る時も、子供の手をひいている時も、涙がちの日も、車で排気ガスをふきだして通る時も、その時々の木々と共に四季をゆくのです。
 わが家の前のプラタナスの並木の、小さな若葉を見つめていた日はどこへやら、すっかり枝だけとなり、冬の陽は枝々を通し、人々は日向側の歩道を選んで歩きます。
 今年は例年より少し寒く、早朝の温度が、四、七、十度といったところ。ブエノスアイレスの町が零下になることはまずありません。
 ハカランダ、テイパ等まだ緑濃い葉を繁らせている木々は多く、しっかり見つめないと、今が冬なのか、何の季節なのか、忘れて過してしまいそうに、人間を苦しめることのない、穏やかな地です。
 地震も台風もなく、大地にめぐまれて育った人間の楽天地と自信、それにヨーロッパ文化から来ている道徳、これがアルゼンチン人なのです。
 この度のフットボールの世界選手権大会での南米久しぶり、アルゼンチン初めての勝利で、国中の人がもれなく何十センチも飛び上った感じです。勝利の瞬間に教会の鐘が鳴り渡ったのを皮切りに、車の警笛、鍋をたたく音、ラテン系のリズミカルな身体に、勝利のエネルギーを内に秘められなくて、老も若きもは当然のこと、今にも子供が生まれてしまいそうな人も、歩かない赤ん坊はベビーカーに入れて、国家総動員法が発令されたごと く、人々は家の外へ、目抜通りへと繰り出して、恥も外聞も衒もなく、みんな動物的時点にたって勝利を叫び、歩き、踊り、泣く。
 私もアルゼンチン生まれの娘と共に、恥を忍んで、車は動くことをあきらめた、熱気満ちた行列に参加して、アルゼンチン国旗にくるまって泣きながら歩くおばあさんを見て泣いた。牛肉をたんまり食べたがんじょうな身体から“声よかれろ”とばかりに「アルヘンティナ、アルヘンティナ」を叫んでいる若者たちを見てまた泣いた。
 私の涙は、直接フットボールの喜びではなくて、一つの出来事にこれほど集中できる人たちを見ての感激なのだけれど、他国のフットボールのごときことに混って、涙を流している自分が信じられなかった。
 七歳の娘も、涙がこぼれないように上を向いてがまんしたという。
 底ぬけに単純に、国中が国の色の空色と白になりきって、国の名「アルヘンティナ」を叫んでいる。
 この世にこんなに身も心も素直になりきれる人たちがうらやましかった。
 この六月の日は、アルゼンチン国は、私に素直という言葉を残して過ぎていったのです。

 
 

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