アルゼンチンつれづれ(2) 1978年10月号

アンデス山脈

 八月。アルゼンチンは時正に冬。冬休みの最中です。ブエノスアイレスの町も、冬になった日から数えて二ヶ月も過ぎる頃。ハカランダもティパも葉の色が弱り、葉を落し、春の芽吹きに備えての冬枯の状態になりつつあります。(ハカランダは周囲を紫の霞かと思わせる程枝々いっぱいに花をつけて、その花の薄紫が、なかば散った頃、葉が出てくるのです。ティパは背の高い木で、若葉の中に山吹色の花が咲き、ハカランダほどハデではありませんが、ブエノスアイレスの町に多いので、この木をぬきにしてはこの町は語れません)。
 せめて学校の休暇は、子供達に本当の空気を吸わせたくて、冬物の衣類をいっぱい詰め込んだスーツケースと我家の四人が使うスキー用品の大変な荷物のお化けとなって、ブエノスアイレスの街中のパレルモ公園にある国内線用の飛行場からアルゼンチン航空に乗り、距離にして千四百キロメートル程のアンデス山脈の麓のエスケルというスキーの町へやってきました。さすがここエスケルは、まちがうことのない真冬です。冬の色をした景色、ところどころに、雪があります。平らに続くカンポの向うから山が始まり、その風景は、まったく日本風ではありません。草木の少ない、岩、石ばかりゴロゴロめだつ手前の山。もう一つ後の山あたりから雪がはじまり、奥深く重なるアンデスの山々はまったくの雪。
 ホッペが赤いエスケルの子供達が異人の顔をしているのがなんだかおかしい。日本人によく似たインディオの子供も多く、透き徹った眼で、同じ年齢程の我子をじっと見入る。 町の生活では、子供の手を離したことはないのに、田舎なので子供が土の上を遠くの方まで走ってゆく。雪どけのグシャグシャをよけないで泥をけとばして走る。「水たまりはよけて歩くものよ」。などと教えなければならない子供に育っていることに驚き反省する。
 エスケルの町から西部劇のような石ころの山をくねくねと車で三十分程で雪山に入る。私は、長い板っぺらの持ちにくさ、スキー靴の重さ、寒凪に曝らされて乗る不安定なリフト、こんなことなんの因果でしなければならないのかと、思いは愚痴っぽくなるものの七歳と五歳の眼の行く先は、岩下で止まっている足跡にとまり、うさぎの家を発見したり、雪の表面が風で紋になっているのが、海の砂と同じみたいだったり、大きなべっとりとした雪、細かなコロコロころがる雪、雪だるまの玉がころがって、どんどん大きくなること。そしてその雪の上をつっ走るスピードを味わえるまでに上達したスキー。
 子供達よ、アノラックにパリパリと吹きつけるアンデスの吹雪、寒さ、聳えたつ雪山の上を流れゆく雲、その上にある青い空、この日本から正反対の国の大自然よくよく身体に感じておきなさい。これから先、どんなことに出逢うかもしれない子供達が、私の目のとどく範囲で今のうちに、出来るだけ多くの経験をして欲しい。そして、いざという時には、なんなりと立ち向ってゆかれる強い身体と心と気高さを、持たせなくてはと思うのです。そして、現実にもどり、お皿が四回もかわるホテルの立派な夕食の肉の味が、ブエノスアイレスのおっとりした味と硬さのちがうこと、石ころぱかりの寒い地方で、生物が生きるきびしさをしのんだのでした。

 
 

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