アルゼンチンつれづれ(3) 1978年11月号

チビリッコイ

 今朝は四度、「おー寒い」日本への思いも田舎家の軒にさがる乾柿のいろ、ま白く洗いあがった大根、固く捲いた白菜、トローンと甘い日本のねぎ、ねぎぼうずに涙がこぼれてやまなかったアルゼンチン生活四年後に初めて日本へ帰った冬の日のこと、お正月を中心とした風物。まさに冬への思いしきりです。そんなところへ「日本は三十五度の日が続いて」なる手紙を受取ると、ガンと気合が入って、誰某の誕生日を今年もまた忘れて過してしまったことに気付き、夏に弱い父母を案じてみたり。アルゼンチンに住み始めた頃は、他のことを思うという余裕がなかったうえにこの温度差が頭を撹乱して、こんがらがったまま月日が年を単位として過ぎていったものですが、だいぶ今の自分のおかれている時と日本の時とを平行して思えるようになってきました。でもそれは、しみじみと思う時間が出来た時に限ります。
 一番寒い時で、冬枯れだと思っていた木々にほのかに色が感じられ、マロモが黄色くコロコロと咲きだし、春になりたがっている様子がキラリと見えだしてくるのが、八月という言葉と共に、肌でもって感じられるようになるのには、十年の日々が必要だったようです。
 アルゼンチンにたどり着いて、ぶ厚きビフテキを食べ続ける手段として、この国に需要はあるけれど供給のないコンデンサを作る工場を始めました。場末とはいえ、ブェノスアイレスの町の中にある工場は、陽の入って来ない、レンガの壁にかこまれた建物で、一日中単純な作業をしている工員に緑の風は入ってきません。そのことがとても気になっていましたので、ブェノスアイレスから百六十キロ離れた、大カンポの木の中にあるチビリッコイという小さな町に、二番目の工場を作りました。作業の目は指先を追っても、工員の窓からの風景は、ユーカリが揺れ、とうもろこし畑が続き、チビリッコイ特産のレンガを焼く煙がのんびりと上る。そんな空気の中にいることが大きな安らぎとなるような土地。大地にめぐまれたこの国に住んだら、自からの足に草を、泥んこを、踏んで日々の生活がなされなければ、あまりにも自然に対してもったいない。
 真平で、アルゼンチンでも良く肥えた地帯の両側の牧場の棚毎に牛の品種が異なっていることや、仔牛のたわむれなどながめながらの一直線の道を車に乗って二時間半。しばしば連絡のいる仕事をするのには、遠いと言えば遠いのですけれど、月に一度程見まわりに行く私には、アルゼンチンの中へ入って行く、とてもありがたい機会です。
 九月始めのチビリッコイヘの道行は、莱の花がいちはやく咲く、牛達の大好物のアザミが大きく地に葉を広げだす、途中の桃の産地のつぼみをもつ木々はほのかに色を漂わす。 ブェノスアイレスの町の中にも木々が豊かで満足しながら日々暮しているのですが、一度町を離れると木々の放つ光がちがってきます。肩の凝らない本当の自然がたおやかに広がっています。どうしたら良いのかわからない程の新しさが私をかけめぐり、これらの草木を私自身が大よろこびで受けとめていられるような自分の生活を築くことに、またまたファイトがわいてくるのです。

 
 

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