アルゼンチンつれづれ(4) 1979年新年号
プリマベーラ
「こんにちは」という言葉すら知らずに住み始めたスペイン語の国アルゼンチンで、意味も知らないままに「プリマベーラ」という単語を聞いた時、なんと美しく上品で、豊かに響いたことでしょう。
住む所も定まらず、冷たく灰色っぽく感じられた町並、寒くて雨がよく降って、こめかみに力が入ってふるえながら、声もなく涙を流していた着いた当時の冬が明けて、プリマベーラ、即ち春となった日の、木々の大地のエネルギーがわっと押しよせてきたこと。未知に立ち向った自分のことをしみじみと思い返す時でもあり、今にきっとと勇気づけてくれたのも、プリマべーラの青い空でした。
アルゼンチンに着いて十二回目の春の日、九月二十一日。目を覚ますと、シャッターの隙間から、朝日が部屋の中へ入ってきています。大急ぎで、家中のシャッターを開けると、ああ、やっぱり、世界中の人に、これが本当の春というものですよと見せてあげたいような素晴しい天気。町の真中に住んでも、プラタナスの若葉を通しての青すぎるほどの高く澄みきった空。まろやかに空気を暖め始めている太陽。ビワのブドウのパルタの……見渡すかぎりの木々のやわらかい新葉。こんなよい天気をどうして過そうかしらとうろうろしてしまいます。
町のウインドウも日本の花と同じような三色すみれ、金せん花、カーネーションと花だらけ。朝の買物の主婦たちは、ジャガイモやパンと共に、それぞれの好みの花束を加え、春の日の食卓を花で飾るのでしょう。
恋人たちは、そろいの花を胸に着け、肩を組み、キスをしながら、薄着になった感覚を謳歌しながら町を行きます。
私も、何が何でもこの春に参加しなくてはと、まず花屋さんのドアを開けてびっくり。生のバンドネオンが聞える。私の入った気配に音がやみ、主人が現われる。「今の確かバンドネオンの本当の音でしょう?」と聞く私を、「好きだったら来なさい」と、小さなすすけた、マテ茶の道具など散らばっている台所に招き、たたいて確かめてから坐りたいような、古ぼけた木の椅子に坐らせて、すぐ本物のバンドネオンが、名曲「ウノ」「センティミエント・ガウチョ」、三曲、四曲、額に汗をにじませながら、アニバル・トロイロ楽団の楽師の一人が、見知らぬ、お得意さんでもない、ぽっと入り込んできた私のために、一メートルも離れていない所でタンゴを弾く。
こんなことがあってよいものかとポーッとなってしまった私に、みごとなピンクのカーネーションの束を抱えさせて、「アルゼンチンで生まれ、日本で育っているタンゴの中に生きるタンゲーロの心です。思い立ったらいつでも聞きに来て下さい」と送り出された。すごい春をもらってしまった。アルゼンチンの中にぐっと住み込んだ手ごたえだ。
言葉も両親も友だちも、その上お金すらなかった私たちが、町の人たちと話す言葉を獲得し、住むべき家があり、全部の力をつくして作りあげた工場を基とした信用も得て、アルゼンチンの学校へ通い、日本語が得意な二人の子供がいて、まだまだすべての面で気苦労は絶えず、理想にはほど遠い生活ではあるけれど、自分の力で作りあげた、今日の自分の春がうれしい。
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