アルゼンチンつれづれ(6) 1979年04月号
アルゼンチンの夏休み
ブエノスアイレスの冬は東京の寒さよりずっとしのぎ易いとはいうものの、やっと冬を終えて輝しい太陽の日々がやってくることを感じつつも、パラグアイ人の女中さんには、パラグアイに住む彼女の人たちにまでいっぱいのおみやげを持たせて二ヵ月間の暇を出し、もう一人の通いの掃除専門さんには、留守中のベランダのデリケートなオンブー、コーヒーの木、椿等に、くれぐれも夕方の水を忘れぬよう、わが子と同じ年数だけベランダに住み長らえている二匹の亀にもレタスの葉を日々怠らぬよう、よくよく言い置いて、それとは別に、自分自身には、留守中大切な白玉椿が枯れてしまおうが、とにかく何事が起ってもすべてあきらめることと心に思い、快くリズムに乗っているたった今までの生活を止め、別れに涙を流してしまう友人を振りきって、アルゼンチンの学校へ通う子供の三ヵ月間の夏休みを日本で過すため、日本へ向けての旅の人となりました。
見渡す限りの草原の中にあるアルゼンチンの国際空港エセイサより二時間十五分の飛行機の旅で、開拓が進み、濃緑の野性の部分を大きな爪で引っかいたように、赤土の色があざやかなブラジルのサンパウロに着きます。 月の大半の日々をこの地で働いている、子供たちの父親の住む国、寝起きする家、食事の様を子供たちに見せたくて、日本への気持は押えつつ、彼のサンパウロの交遊の中へ、四日間どっぷりと入り込みました。
「おとうさんの家」と子供たちが呼ぶわが家は床と電話機のみピカピカに輝いて、がらんどうで気の毒なような気もしますけれど、人間一人になって物事などを考えることが絶対に必要だとお互に思っている私たちですから、これはこれでよいのです。
「おとうさんの家、意外と立派だね」という子供たちの感想が何よりありがたい。
サンパウロはさすが南国、一年分の夏を、この四日間で過さなければならないのですから、息づまるような暑さの中でも、ヘビの国の毒ヘビやサソリを、ブータンターの研究所へ見に行ったり、パパイヤの木がある丘の道を車で走り、郊外の立派なプールのある別荘に招かれて、泳ぎ、ワインを飲み、アルゼンチン式とよく似た焼肉を食べ、しゃべる。ポルトガル語は、よくわからないのだけれど、アルゼンチンに着いて言葉をなくし、雰囲気だけの手さぐりで過した時期を経過した私には、スペイン語とよく似た単語が混るポルトガル語には、おどおどしません。食後の一休みをするユーカリの木もれ陽も焼ける暑さ。この暑さも午後四時を回る頃より不思議にはだ寒いような温度となります。まさかと思えるこの地に、大した心地よさがありました。何といってもブラジルでの一番の感激は、青物市場へ行った時のことです。パパイヤ、マンゴ、バナナ、パイナップル、名も知らぬ南国の果物の数々。質と量の豊かなこと、そして、日本で買う果実一個分の値段で一箱も買えるほど安いこと。とりわけの感激はパパイヤです。アマゾン地帯に産する小型のパパイヤに、ブラジル、パラグアイ、ペルー等に産する丸い小さなレモンをかけて、朝も昼も食べまくった味。人間の本当の生きざまの近くをさまよった気持になりました。
今、東京の防腐剤、高価な食料品、その上、寒さの中にいて、ブラジルでの野性的な日が、いかにも健康的に思い出されること。そして、アルゼンチンのヨーロッパ的なエレガントな生活もなつかしい。
木の薫のする日本のお風呂が大好きというアルゼンチン生れの子供たちは、行く道に、お寺が神杜が道祖神があれば、お賽銭をあげて詣るということに情熱をそそいで、日本の外に国があるということを忘れているかのようです。
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