アルゼンチンつれづれ(8) 1979年06月号

aeiou

 雨の後、風の後、プラタナスの落葉は歩道を埋めて、落葉を踏みながら子供達が歩く、私も続く、しっかりと秋への思いをもって。 「葉が黄色くなって散ってくると、一年生になるのね」と入学を楽しみにしていた六歳の娘は、スペイン語のaeiouを習い始めました。二年前に上の娘が入学した時には様子がわからず、へまををくり返して子供に心細い思いをさせたのを忘れ去ったように、今回は落付いています。初めての一年生を持つ娘の友達のお母さんが、あれこれ電話を掛けて聞きます。私は時々、変な言いまわしのスペイン語を使ったりしてしまいますけれど上手に教えてあげられるようになって、アルゼンチン生活十三年は伊達に過ぎていったのではないようです。
 ビヤ樽の様にふくらんだ幹を持つパロ・ボラーチョの花ざかり、ピンクあり白ありの道を通って、学校生活が軌道に乗り出すと、復活祭、イースター・アルゼンチンではパスクワと呼ぶ聖キリストが復活した休日があります。木、金、土、日曜日と四日間の連休ですが、ラテン系の人々は、週の始まりからもう落付きません。長い夏休みが終ったばかりだというのに、多くの人は、この休日の入っている一週間を、学校も職場も休んで牧場や別荘や海辺へと出掛けてしまいます。
 町では、この宗教的理由により牛肉を食べない人達が、普段はあまり人気のない魚屋へ行列をしていて習慣を知らなかった私は、何事かとびっくりしたものでした。今ではこの日は夕方のひと時、共にウィスキーを飲みながら過すアルゼンチンの友人の為に、魚類のつまみをと気付くようになりました。
 卵型に花や鳥を砂糖で描いた大小のチョコレート菓子や、大きなドーナツスタイルに茹卵をはめ込んだパンや、卵に顔を描き、洋服を着せた人形とか、生まれ出る象徴なのでしょうか。パスクワが近づくと町中卵だらけになるのです。
 そのパスクワの休日を利用して、ちょっと栗拾いにと、ブエノスアイレスから百五十キロ程離れたカルメン・デ・アレッコという村まで、相変らずカンポの中の一直線の道を、花首を垂れて、焦げたようになって立っている見渡す限りのひまわり畑、収穫車が通った部分は花がなくなって茎だけ残っている風景など見ながら、車のスピードは百三十キロになっています。
 隣りの牧場との境に栗の木が何十本と植えられた友人の牧場が目的地です。見上げると毬がはだけて、つやつやの栗色をのぞかせているもの、まだ針の球のままのもの、どうしようと思ってしまう程の栗々々。この木々の花の最中はどんなだったことでしょう。草を食みつつ、こちらの様子を窺っている牛達に近寄って拾う地面にも、毬から飛び出してしまったもの、叢に、丸太の陰に。「栗ご飯がいい」「マロングラッセにして」「甘煮くらいがいい」との声を聞きながら、御裾分を提案するのは私です。渋が果肉に入り込んだ固い栗と格闘する時間が恐い。子供達は毬の痛さを知りました、背丈を越す草々は、最後の追い込みとばかりに、草の実を靴下に、セーターに着けてきます。にわとりを追いかける。バッタを見つける。無花果の木に登って、まだ熟さない物までほうばってしまう。土の上で見る物何でもうれしくて、飛び跳ねる子供達を車に押し込んで、遮る物が何もない地平線の上にのぼってきた、兎の耳の形が良く見える真丸なパスクワの月を右肩にいだいて、もときたスピードでブエノスアイレスヘ帰ったのでした。

 
 

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