アルゼンチンつれづれ(13) 1979年11月号

ユースサッカー

 冬枯れの木々の中に、ハカランダに良く似たラパチョの木末が薄らとピンク色になってくると、冬を忘れがちのブエノスアイレスでも、春が真近になった喜びが、微少となってしまいます。
 ひと冬着続けたオーバーやセーターが、むやみと重く、あきあきしてくる九月初旬、濃いピンクに満開となったラパチョの下で、ひと花ふた花その落花を拾う頃、木瓜、小手毬藤等、日本の生活でも常に身近にあった花々が咲き、またたく間に、木々の芽が幼ない葉となり、大きさと色を増してゆきます。若葉を透かせて見える晴天の空、曇りがちの日。もはや暦の上での「春の日」を待つ必要はありません。
オンブーのまだ葉の出ない時期に自転車を覚えた娘は若緑に繁るオンブーの並木をあぶなげなく走って、名を知るも知らぬもさまざまな種をポケットいっぱい拾って、「大冒険をしてきた」と春の近い木々の中に身体いっぱい参加しています。
 ハカランダやセイボやティパは、まだ葉のないまま、たわわに種をつけての熟成の期です。バポ・ボラーチョはビヤダルの姿に刺をつけて、随円状の実がブラブラとして、まったく道化ているめずらしい木です。その実が爆ぜて綿毛に包まれた種が風に乗り、パレルモの芝に広がっています。「バボ・ボラーチョの綿を集めた枕を作ったら、雲に寝るみたいでしょうね」などと話しながら、日本へ行く日のことを思い浮べつつ、日本の地へ、この奇妙な木を育ててみたいと種集めを楽しみました。その軽やかな綿毛にまじり、サッカーの国のサッカー熱が熱し切って、学校のノート、計算機からの紙、テレックス用紙もトイレットペーパーも皆千切られ、紙吹雪となってアルゼンチンをおおった日がありました。喜びの表現なのですが、私には、誰が掃除をするのだろうということの方が気になって落付きません。
 日本で開催されたユースサッカーの世界選手権に、アルゼンチンチームも参加しての出来事です。十二時間時差のある日本時間とアルゼンチン時間の都合で、アルゼンチンでは、早朝の四時とか七時とかの、とんでもない試合時間にもかかわらず、人々は、テレビの前にかじりつき、日本から送られてくる映像に全神経で入り込んで、学校も職場も、その正常な活動は麻痺してしまいました。我家のお手伝いさんも、丁度子供達の学校行きの仕度をする時間ですから、テレビの前に坐って居られないのが不服でした。「なんたることだ」と嘆き言う人の声など、消えてゆく以外はなく、日本の人々がアルゼンチンチームに旗を振る。日本の顔が日本の文字がアルゼンチンのほとんどの人達が見ているテレビに写し出される選手達やアルゼンチンのジャーナリストが日本での見聞を語る。道を歩けば知らない人々がアルゼンチンの友人達が「日本のおかげでアルゼンチンが勝てた」と声をかけてくる。サッカーのこと故この出来事はアルゼンチンの人々の記憶に長く永く残ることは確かです。
 日本の血を持った私の子供達が、「日本へ行っても、ヨーロッパヘ勉強に行っても、帰る所はアルゼンチン」と言い切っている国と、私の帰ってゆく所と心のささえになっている日本とが、他愛ないこととはいえ、地球の上で深く関係したことが、改ためて、外国に住み、子供が育ってゆく現実の私達の生き方を見つめる機会となりました。

 
 

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