アルゼンチンつれづれ(17) 1980年03月号

日本へゆく

 冷房の部屋から一歩外へ出ると、ムッと息詰るような暑さ。働いたり、何かの動作を起せるということにほとほと感心してしまう程に、人間が住むのに適していないと思えたパナマをうろうろした服装のままで、辿り着いたメキシコの空港、標高二千メートル近い。今は冬の町で震え上ってしまったこと。メキシコといえば何となく寒さ知らずという潜在の気持があった故の失敗でした。税関検査の為に開けたトランクの中より冬の日本に用意したオーバーを取り出し、北半球にやってきた思いを持ちました。
 例により飛行場から、地図を広げてのレンタカーの人となり、荷物も子供達も皆積み込めば、蝸牛のように、もう何処で何をしても良いのです。時差の中を旅して、それぞれの国に関係なく、私達自身の眠気、空腹は、小さな我家レンタカーがありがたいのです。特に子供連れはこれに限ります。あれこれ見せたいと思うのは大人の考えで、大半の時間を後部座席で、何国の何処を通ろうとも、見なければもったいないなどと思わず安らかに眠っている子供二人。
 子供達の幼い味覚では、民族色豊かな食事は好みませんが、世界中にチェーン店のあるフライドチキンとかハンバーガーで満足ですし、ホテルに着けば、アルゼンチン、ブラジル、パナマとも同じテレビの番組を探し出して、地図で言えば線が引いてある所を越えてゆくのに少しも大それた気持になっていないのです。そんな子供達の趣向を丸くおさめつつ、私の方も三十何年か使い続けてきた目も耳も舌も満足いくものを探しながら。
 アルゼンチンで三本所在を知ってみつめている、ピンクの実がかわいいアグワリバルディが、ここメキシコにはいっぱい。厚いほこりをかぶり、道路工事、排気ガス、工場の煙、金魚のように空に向って、口をパクパクさせたいような、この国にいることが圧迫感となってくるように、汚れてしまった空気もめげず、頭痛を静める薬をのみつつ、レンタカーを走らせて。前方の排気ガスと曇り空に浮ぶ何か、「さすがメキシコ、古代のトーテムだ」とワクワクして近寄ると工場の聳え立つタンクだったなどの道中を経て、工場が見えなくなり薬、テキーラ、アルコール飲料の原料、繊維は衣類や編みかご、とげは針となる竜舌蘭の畑が多くなってくるといよいよピラミッドです。
 見上げる雄大な太陽と月のピラミッドが背景となって感激なのは、その古代の石組を軽やかに登ってゆく私の二人の子供の逞しく育った様子です。踵のある靴で来てしまって登るのをあきらめた私に、頂上の小指ほどに見える吾子が呼ぶ「おかあさーん」。まわりにいる異国の人々のことを気にもとめず、大昔の人が彫った石に坐って呼ばれる私。だんご菊に似るメキシコの雑草を手折って、けんめいに私に向かって降りてくる子供達。すき透ってゆくような清々しい思いをメキシコのピラミッドに残すことが出来ました。
 風光明媚なカナダでは、子供達と私の夢、アイススケート場の前に宿をとって、さっそくすべり始める子供達。英語の人達がすぐ話しかけてきて、私達の下手な英語の中に混ってしまうスペイン語を聞きわけて、スペイン語の人が話しかけてきてと、今着いたばかりの国で、どんどん大きくなってゆかれる思いがしました。小雨がちの視界の開けない冬型の時であったとはいえ、バンクーバー市内及び郊外のアイススケート場を見てまわることのみにカナダでの時間をついやして、「スケートをしたいのに、すべれない国に住んでいるなんて」という我子の嘆きを、なんとか解決しなければならないところにきてしまっているのです。

 
 

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