アルゼンチンつれづれ(18) 1980年04月号
日本滞在中
何も出来なかったような、じっくり成果が上ったような、やはり帰ってきて良かった、などとの思いが交差しだすのは、柳の葉が緑に残っていた秋の名残の日本に着いて、まだ三ヶ月間の夏休みを始めたばかりのような気がしていたのに、やたらに沈丁花が目につきだし、桜の枝先が気になる春になってきてしまった日でありました。
外国のべールを通して日本を見る目を持ってしまったアルゼンチン生まれの二人の娘と私の日本での悦び、戸惑い。
子供達が一番つらいのは牛肉の味です。すき焼きならそういう食物と思うらしく牛肉も食べられるものの、ビフテキ、ハンバーグなどアルゼンチンと同じ料理方法となると牛肉の元の味が違うので食欲はありません。それでなおかつ「骨付の肉が食べたい」そのためにはすぐにでも飛行機に乗ってアルゼンチンヘと思い逸るのです。生れ育った味がいかに良いものかということを知りました。
私は日本の食物に渇望した舌でもっていきおいよく口に入れた品々に「昔はもっとおいしかった」といまひとつ有頂天になれないでいます。片思いで、あまりにも美化しすぎてしまっている故でしょうか、日本の味のレベルが下ってしまったのか。おしなべて私には甘すぎて塩辛すぎます。合成着色料、防腐剤、合成甘味料等々、読んだだけでもう子供に毒を食べさせる気持になってしまい味どころではありません。
外地に住んで、なんとか日本の味を作り出そうと、無い所から工夫して作り出す悦びを味わってしまったら、有り余って暮すことの無神経さがふやけて感じられ、いつでも誰にでも出来ると思うとやる気をなくし、ひたすら手を抜いて仮住いの感を大きくして生活してしまいます。アルゼンチンヘ帰ったら、あれも作ろう、これも作ろうと保存のきく日本食の材料を船荷物にしていくつも送り出しています。
世界の市場を埋める日本の小綺麗な文房具玩具の大本で、それ等を目前にして「この人形、由野が買ってあげないとかわいそう」と涙をこぼしながら、ありったけのお年玉で買いまくりたい次女。アルゼンチンに牧場を買いたい私の夢をかなえてくれようと、欲しい物も思いとどまり、交際を円滑にする学校やクラブの友達へのおみやげは、スーパーマーケットで何円か安く買い、ひたすら貯金にはげむ長女。
私達の東京の毎日は、九ヶ月間のブランクを取りもどすべく元日に霜柱の跡が残っていた多摩墓地へお参りに行った日を除き、スケート場通いです。夏から冬への温度差にも負けず、きびしいレッスンにもやる気で、去年まで、私がスケート靴をはいて子供の後を追うようにしていたのが嘘のように、すべりたくてもすべれなかった思いが子供達を大きくしたのでしょう。私は隠居の身となり暖房室で本を読みながら、句切りごとに子供達の練習振りを見つめ、たわいない遊びといえばそれまでですが、決めたことにありったけの力でぶつかってゆける健康がうれしい。
私は、だいたいの意味はわかるというスペイン語から入ってきている情報のみに暮して、その淋しさに驚くとともに、もう日本語から知識を得る以外はないという思いを強く持ちました。本を読めばあらゆる分野の知りたいことがどんどん私に入り込んでくる、そのおもしろさにとりつかれています。今年は、子供達に割り込んで、本を読めるゆとりを得ましたけれど、もうすぐ日本語の本が買えない国へ帰ってゆく。先にアルゼンチンヘ帰って行った子供達の父親は「何か変ったことはないか?」と時々電話をかけてきています。
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