アルゼンチンつれづれ(25) 1980年11月号

チビリッコイ

 春が近づくと、人々は自然に咲き出す花々を待ちきれないかのように、早く冬から逃れたい一心なのでしょうか、花屋が大繁盛ということです。華やぎたい潜在の心を持って、まだ冬のままの服装で、年の始めに立てた一週間単位の予定を正確に過してきて、なんだか疲れっぽく、マンネリズムな感じを吹き飛ばそうと、土曜日の夜、湖の辺にテントを張って、ペヘレイ釣りという招きに大喜びで乗りました。私達の工場のあるチビリッコイに住む日本人家族からの誘いです。
 晴天の土曜日の朝、ブエノス・アイレスの町から郊外へ出ようと、家族を満載した車で道は埋まり、一六○キロ先のチビリッコイには、何時着けることやらと案じた混雑を抜け出ると、カンポの中の一本道。まだ柔らかい初々しい柳の葉を渡ってゆく風の中を、久しぶりの地平線を眺めながら、アノラック、セーターとどんどん脱いでゆく暖かさ。
 いつぞや、メンドサヘ旅行した時「すぐ近くですよ」と気軽に車に乗せられて、人家の見えない、月世界の様な乾いた感じの道を四百キロ、六、七時間も、水を欲しがる子供に水を飲ませられないことがありました。
 生まれて一カ月目の由野を連れて「ペンギンがいる海を見たい」と言った時は、二時間半飛行機に乗り、凸凹道は、飛ぶ勢いで砂煙をあげる車の脇を、ニャンドウ(小型駝鳥)が走る、潅木ばかりのパタゴニアを六時間。見渡す限りのペンギンの群は、馬も羊も歩いている海に続く牧場でした。逢えたのは感激でしたけれど、あまりにもイメージと違う風景に来た時と同じだけ帰らねばなりません。 カタマルカ地方へ車を走らせた時は、丸一日走り続けて対向車に出逢わなかった時の空恐しさが蘇ります。電線だけは、何処までも続いていましたけれど。
 アルゼンチン式の「すぐ近く」を日本風に受けて、訳知らぬままに事が運ばれてゆき、後になってから、そんなこととても出来る状態じゃなかったと知るのです。それ故、私は十キロでも車に乗るという時は、水筒に水を満たし、手当り次第のビスケットなど持ち込むことにしています。
 案の定、チピリッコイヘ着いたら、目的の釣り場は百七十キロ先ということでした。何処々々と区別もつかないようなカンポの道を道標について前進。途中忘れることの出来ない村、十三年前、私が初めて一人で長距離バスに乗って、心細さと、自棄っぱちでやってきた村、カルメン・デ・アレッコを通りました。人種は異なれど人間が住む社会では、言葉も風景もわからなくても、なんとか辿り着けるのが不思議みたいでした。今回は、世界地図の生れ変りの様な子供達の父親が運転する車に乗って、巧みに三カ国語を使い分ける子供達と共に、私は、ユーカリの花、小鳥の巣と、心を風景になびかせていればよいのです。薄暗くなって着いた目的の場、どんな形の湖の辺に一夜を過すのか、どんな草が生え始めている土の上なのか、車の明りをたよりにテントを張りました。
 「三十センチもあるペヘレイが百匹くらいすぐ釣れるよ」という言葉につられてやって来たのですが、「夜中に釣竿を持って坐っているのが遊びなの?」と子供達が言い出す程釣れない。時は産卵期で、魚の事情を考えないで来てしまったようです。大人子供合わせて八人の日本人が、眠気を我慢して三時間坐り、往復六百六十キロも車を走らせて、四匹のぺヘレイを手に入れました。その淡泊な白味の塩焼の美味だったこと!

 
 

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