アルゼンチンつれづれ(26) 1980年12月号

アルゼンチンの牛肉

 家事、そんなことの中にもきっと喜びがあるにちがいない、と初めて本格的に取組んでみた六ヶ月間。私にとって、白け諦めの中にだけ存在するこれらの雑事を、黙々と続けて来て、また続けゆく女人のことに思いが至ります。アルゼンチンにまで来て、何故こんな事をしていなければならないのかと、自分の存在感まで消えてゆき、どんな事にも朗らかに向ってゆかれない、輝やかしい喜びが飛び込んでこない心の持主と化す。
 アルゼンチンヘ着いた当時、無我夢中で突き進んでいった、あのひたむきな心はもう戻って来ない。何となく暮らしてゆかれる今を幸せな時期と言わねばならないのだろうけれど、こんな幸せなんて私の好みじゃない。切羽詰った我武者羅感に恍惚とした味を知るともう家事だけしていれば良いなどという、生活の中に閉じ込めてはおかれない人間になってしまう。ところが現実は、人並に昼食用の二sの骨付牛肉が焼けてくる匂いを漂わせ、子供達が帰って来るまでが私の時間。何をしようかと焦りつつ、行く雲を見ているうちに終ってしまったり。あまりに短い。
今現在の私は、私流の子供の教育、彼女等の生活のリズムを乱さない為に、最底必要限度しかお客様をしませんけれど、日本からのお客様は、何曜日の何時にでもアルゼンチンを短時間に見る為にやってみえます。生涯にほんのひと時しかこの国を見られないかもしれない人達に、視界も味覚も私達の出来る限りのことをします。アルゼンチンに着くなり、お茶漬け、漬物と泣かんばかりの人。パンと肉が大好きで少しも困りませんと痩我慢の人。旅をしてでの自分の経験やら日程、注文などを織り混ぜて計画を立てます。日本人がアルゼンチンにていかに暮らすかというのは、我家で人参、アンディビァ、チーズ類、スキ焼の残りの玉子とじ、昼の残りの肉の薄切りに芥子醤油と手当り次第の気軽な物でのコペティン(食前酒)の時を過し、子供達も学校で習っていることなど話しに出てきます。
 引き続き、私の習ったことのない日本料理擬の物でも、望まれれば作りますけれど、折角こんな遠い所までいらしたのだから、アルゼンチン風レストランヘ、肉の量の大きさに吃驚しにゆくべきです。食事の後はタンゴのショーが、夜中の十二時過ぎに始まりますから、是非見なければの使命感に燃えるか、体力負けであきらめるか、拍手する時だけ目を覚し、あとはいねむりなんてことをしに行くことになるか。私達の工場のあるチビリッコイまでお連れすることもあります。
 目的は道中。アルゼンチンが世界の国に対し胸を張って、自国の言いなりを通してゆく裏付けとなる真平な豊沃な土地がどこまでも続く。六千万頭いるという牛のほんの一部分が草を食むのが見渡せる。太陽の下のアルゼンチン。こういうおもてなしをすることが多かった十月が過ぎようとしています。
 子供達が「先生も生徒も、夏休みの前触れで、なんだかやる気がないみたいよ」などと報告する。太陽の日ざしに教えられて、私達の日本へ移動の時期が近づいてきています。ポトポトと脂を落しながら、ゆっくり煙のしみた焼肉のことを思うと、他の国へ行くという動作に躊躇感が伴います。旅に出た日から、アルゼンチンヘ帰り着く日まで、この肉のことを思い続ける羽目となるのですから。それから、私達がカロチンの味と呼ぶ柿と同じ味が混る人参とも離れ難いのです。

 
 

Copyright (C)2002 Yuri Imaizumi All Rights Reserved. このページに掲載されている短歌・絵画の無断掲載を禁じます。