アルゼンチンつれづれ(28) 1981年02月号

スペインへ

 「あと何日間かでこの暮しから逃がれられる。」サウナのような蒸し暑いブエノスアイレスの町を、旅行手続きに歩きまわった日々。
 地球を半周しなければならないアルゼンチンから日本への道、「今年は何処の国へ寄りましょうか。」「スイスへ行きたい。」「北欧は来年にしよう。」と言いたい放題。選り取り見取り。ヨーロッパと同じ文化で出来上っている。アルゼンチンに住んだら、もうヨーロッパを見た方が良い年齢に育った子供達は、アルゼンチンがスペイン語を話すことになった経緯の国、スペインを選びました。四、五日ではあるけれど。
 行くからにはと読み始めた南米とヨーロッパの歴史の本も、出発前のあわただしさに残るぺージの多きまま。とても寒い所のことなど考えられないのに、みるからに暑苦しいオーバーを抱えて乗り込んだ飛行機で十時間。緑に慣れていた私達の目に、幾つもトーンを落した今冬色のマドリッドに着きました。
 アルゼンチンとスペインの長い交流の歴史が窺える町並。私達には不自由のないスペイン語が話され、私の住んでいるアルゼンチンの隣人、知人と同系の顔をした人違が行き交う。道の名前、人の名前、食習慣、肩が凝ることは一つも無いのだけれど、ヨーロッパ大陸にやって来たという思いの故か、ゆく風も何やら南米大陸とひと味違う気がするのです。
 子供達の為に.初めてのマドリッドということでは、まず名高いプラド美術館から行動開始です。東洋人の顔をして、スペイン語が達者な子供達に、入口のおじさん達が「フィリピンから来たの。」と聞きます。そういわれれぱ、フィリピンもスペイン語圏内なのですね。ありがたいことに、世界にスペイン語通用範囲の広いこと。
 天井を仰ぐのが好きな次女が驚き魂消る立派な建物の中に、これまた普通にでも何でも生きておりさえすれば何度となくお目に掛ってしまう、価値の定まった名画がズラリと並ぶ。年の功でもちろん私の方が子供達に教えるものと思い込んでいたものの、数多い宗教画については、画面構成、人体美学のみによって見てきた私に、画に登場している人物の名前、関係、何についての画であるとか、宗教の授業を受けている玉由から教わるはめとなりました。うれしいと思えばよいのか、もう私はスペイン語と同様、絵に対しても我が家の四番目となってしまったのか。こんなに子供達が小さいうちから御手上げ母親では申し訳けないから、もっと私自身の勉強をしようと心に誓ったのでした。
 本物のパンダをまだ見たことがない子供達にせがまれて次は動物園です。休園かしら、まだ冬休みになっていないからかしら、それにしても人気がない。「押すな押すな、立ち止らないで下さい。」の上野のパンダ情報とは大違い。マドリッドの冬の外気のまま、芝に坐ってこちらを見ているパンダ。パンダを見ているのは我家の全員四人だけ。ゆっくり見られるのは良いけれど、何だかありがたみが少ないような気がしてしまう。
 人気の無い所ばかりでもなく、夕刻のプエルタデルソル、プラサ・マジョール、とはマドリッドのセンター。あまり子供的ではない所だけれどクリスマスの時期の買物の人々に混って歩く。歩き疲れて、烏賊のリングフライ、蛸の西洋酢の物、海老の天ぷら風、ムール貝のニンニクいため等つまみながらの会話で、十六世紀までスペインの主都として栄えたトレードヘ行こうと、行き当りばったりの私達のスペイン二日目の行動が決りました。(つづく)

 
 

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