アルゼンチンつれづれ(31) 1981年05月号

日本にて

 「今日、学校でルーブル美術館のお話があったんだよ、本物のモナ・リザを見た所」とさっそく今回の旅の成果を報告する玉由。
 「クラスで、ルーブルやプラド美術館へ行った話をしたら『玉由のお父さんはお金持ちね』って皆に言われたから『そんなことないよ、皆と同じだよ』と言ってきた」
 さすがに九歳にもなれば、有余っての行動ではないことを知っている。皆と同じという程にも達しない、歴史のない我家の経済状態だと思うけれど、外地に住んで、何時、どんなことがあるかもしれないとの潜在の気持ちを持っていると、出来る時に子供達の身体に入れておきたい。
 アルゼンチンでの九ヶ月間、無駄なことは一切省略して暮し、まとまって三ヶ月間もある夏休みには、離れて暮す日が多い父親も仕事、日数をやりくりして参加の一家四人で、子供達の蓄えとなるべく国々を見せながら、日本へ帰る。
 日本での日々は、体操、スケートを毎日。日本の子供達が学校へ行っている時間をフルに活用しての、オリンピック級コーチによる個人指導。私の子供ごときには過ぎた贅沢だと思うけれど、せっかく日本まで連れて行った日々を、有効に生かしたい。
 私といえば、日本へ帰ったからといっても昔の友人に逢うわけでもなく、旨い物を食べ歩くでもなく、三百六十五日異った服装をしたという過去は無かったごとく、まったくの親バカ、教育ママの見本みたいな情けないことをしているのだけれど。
 誉めたり、叱ったり、新しいことが出来るようになった喜び、日本の子供達に追越されている焦り、一日運動をしてのしんどさ等、共に味うベく、付きっきりでレッスンを見守っている。幼い頭に一言、言葉を添えてやりたい。今、目を放して無駄な時を過ごさせたら勿体無いと思うから。
 今期の目に見えた成果といえば、玉由も由野も宙返りが出来るようになったこと。アルゼンチンの体操しか知らなかった目に、同年輩なのに、高度な技を持ち合わせる子供が沢山いて、絶間ない練習をしていること、その子等と限りなく親しくなれたこと。
 日本を知って、日本以外の国々でも、同様の努力がなされていることも悟れました。
 スケートでは、一年間に二ヶ月しかすべれなかったにもかかわらず、玉由は、日本スケート連盟の四級フリーに受かり、由野は一級。すべれなかった九ヶ月間のハンディに押され気弱に、涙になってしまう玉由を励ましつつきっと追いつける、と自信を持たせたところまで漕ぎ着けて、時間切れになってしまいましたけれど。
 十五年前、アルゼンチンに住み始めた時には、訳は分らないまでも、それをしなければならないと思ったから、太陽も月も地上に草木があることも忘れ果てて、続く限りの力を尽してコンデンサを作った勢いは、私の子供の父親となるべき人へのものだったし、今は私の頭で考えられることは全部して、子供達を追いたてている。
 私自身に帰ってみると、趣味、嗜み程度という時限が一番嫌いなのだけれど、本物になりきれない織、絵、あれこれ手を出した物が惨めに色褪せかけて私を取り巻いている。
 あと五年間は、子供を口実に過せるけれどそれから後、手後れになってしまった悔しさを噛み締めながら、逃げ隠れ出来ない自分自身に取り組む時が来るのだろう。

 
 

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