アルゼンチンつれづれ(30) 1981年04月号

フランスにて

 まだ明けきらないセーヌ河を見下ろしながらの朝食は、焼きたてのフランスパンが大きな籠にいっぱい。噛み締め、おいしく、食べきれなかったのはスーツケースの透き間に詰め込んで日本まで持ってきた。東京での仮住いで、ちょっぴり焼き直しをして、フランスの味を蘇らせた。
 ルーブル美術館での「モナ・リザ」。乗ったタクシーが思いもかけなかった凱旋門を通った。丈高い枝だけの季節のプラタナスを透かしてのエッフェル塔、クレープを食べ食べのシャンゼリゼ。雨の輸の重なるセーヌ河。厚い雲に覆われたパリ。単時間の一番表面的なことを見ただけなのだけれど、子供たちと共に、自分の足でフランスを歩けて本当によかった。
 フランスに行って、フランス語を持たないつまらなさを知って、いつかその言葉にもアタックをしようとの心構えが出来た子供達。 今期は、アルゼンチンの学校が常の年より遅く終ったこと。道草を食べ食べ地球を半周して来たことなどで十二月末に日本に着き、三月初旬、新学期の始まるまで、中二ヶ月間で十ヶ月間のブランクとなっていたフィギュアスケートも日本語も、同年代の日本の子供達に追い着き追い越そうというのですから。 時間にゆとりのない日々にも、たちまちテレビから、従姉達から、私には、まともなことは何も言っていないと思われる若者たちの言葉を取り込んで話している我が子たち。
 昔アルゼンチンヘ渡った人の日本語を聞いて、「意味はわかるけれど、不思議な言葉を聞いた」と感じたことがある。こういう風調が現在進行形の日本語なら、それも経過してゆかなくては本当の生きた日本語が出来るということにはならないのだから。
 飛行機の中までは、私も昔親しんだグリム童話をスペイン語の本で読んでいた子供達も日本での生活に入ると、日本語の方が合うのでしょうか、買うのが追いつかなくて、「二度づつ読みなさい」と言わねぱならない程良く読みます。わざわざ「教科書を」とは言わず、漫画でも雑誌でも物語でもともかく日本の文宇に興味を持ってくれれば良いです。 ずいぶん複雑なことまで聞き取れる耳を持った子供達、日本の血を持って、外国に生まれて、スペイン語教育を受けている私の子供達に、宝石や不動産という物ではない、私と同じ言葉、日本語を残すことが出来る喜びを思うのです。
 私は、アルゼンチンでの生活では、朝十時に自分でコーヒ豆を選び、機械の音をたてないで、原始的な木のコーヒー挽きで、コーヒーが挽ける音、香り、そして昧、とそんな時間を大切にしています。なにかにまぎれてすぐ消えていってしまう時間の一時を、ちょっと私に向けさせる低坑のような感じでもありますが、日本へ来たら、もちろんそんな私の材料もないこと故か、あまりコーヒーが欲しくはなくて、熔じ茶、抹茶が非常においしい。
 アルゼンチンでは、日本からのお客様とか、アルゼンチンの人に、日本のお茶を披露するときとかの外は、日本茶は飲まなくなるのです。
 やはり、それぞれの国の空気、習慣、食物等に適した物というのがおのずから定まってきて、その中にひたって住んでいれば楽なのだなと、自分の身体を通して思っているこのごろです。

 
 

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