アルゼンチンつれづれ(36) 1981年10月号

YUNO・ゆの

 スペイン語の1はUNOといいます。そのUNOに父親と私の名前の頭文字Yを付けて一番への願いを込めて作った名前の持主、次女YUNO。
 レヒオナルといって、日本で言えば東京都の大会ともいえる、最年少のカテゴリー八歳以下の女子による体操のブエノスアイレス大会に由野が参加しました。
 スペイン語で物を思うことは出来ず、文章も書けない私の唯一の捌口となっている二人の子供。あまりにも大人気ないとは思うけれど、精神、身体の健康を願って始めさせた体操でも、日に日に、まわりの同様のことをしているアルゼンチンの子供達に負けて欲しくない気持はつのる。
 ヒムナシア・イ・エスグリマクラブの正選手アルゼンチン人YUNOと肩書が付く日本人の顔をした私の由野に、これから世界に生きてゆく勇気を与えたい。食事の内容、睡眠時間、精神面、全て子供に感じさせないように最上のコンディションに来られたという私の自信もあって、一番になれるのではないか、との期待も大きく……。
 二日間に亘る大会の一日目は、四種目の規定です。あまりにも美しく晴れたブエノスアイレス郊外のクラブにおいて由野の成績は、平均台は大会中の最高九点、床運動九五点○これまたずば抜けて最高点、苦手な跳馬にも九点五○、あと残るは、動物園へ行くと「間違えられて猿の檻に入れられたら困る」との心配を持っている猿程の由野の一番得意な段違い平行棒。これでもう一番になれにという気のゆるみがあったのでしょう、滑り止めの粉を手に付けるのを忘れて演技を開始してしまい、常の由野ではないと思った瞬間、高い方の棒からポトンと落ちてしまいました。あんなに練習して上手に出来るようになっていたのに。十一番に転落。
 泣いて泣いて、泣き止んだ時、「明日取り返して一番になる」といった由野に私は驚きました。病気がちで、大きな声を出しただけで泣きだすほど気が弱かった由野が明日に挑戦する強い子に育っていたことに。
 もうほんの小さな失敗も許されないところにたっての二日目の成績は二十パーセントかと思われる難しい内容の平均台自由演技、もっと簡単なことに変えて、そつなくまとめさせるか。私は眠られぬ夜を過したのですけれど、こんな小さな時から失敗に怖気づく子にしたら、これから先、選手としてゆくのにも差障りがある。それに面白味がない。
 「由野、平均台から落ちてもかまわないから一番難しいのを堂々とやりなさい」
 「ウン」と由野。
 今まで、恐がってコーチの助け無しには試してもみなかったことも一人で出来、私が、きっと落ちると目をつむりたい三、四個所もとうとう落ちなかった。平均台に最高点がでた。今までこの国の八歳までのカテゴリーで誰も出来なかった内容が織り込まれている床運動の自由演技も立派に終えて、三番にまで追い上げたところで大会は終了。
 大勢の人々が見ている中で、気が弱いと思っていた由野が、おどおどすることなく、練習の実力を発揮して、他の誰もが挑戦しなかったこともやってのけた。二十四キロにも満たない私の赤ちゃんと思っていた由野が、自分の力で十一月のアルゼンチンの国の大会に出場する権利を得ました。首にかけた銀色の小さなメダルは、もう二度と同じ失敗をくり返さないことを、由野が大人になっても知らせ続けてくれることでしょう。

 
 

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