アルゼンチンつれづれ(39) 1982年新年号

アルゼンチンチャンピオン由野

 七月のメトロポリス大会から四ヶ月。由野の学校カバンの中から、日の過ぎた誕生パーティへの招待状が沢山出てきたのには驚き。「体操を休みたくないからどうせ行かれないもの」と私に見せようともしなかったのだ。こんなに大好きで無遅刻、無欠席の練習を重ね、日本の子供がアルゼンチンの中に混って体操をしていることを笑顔で見ていてくれる、表面の外交が上手な紳士の国の人達も、「どうせ世界から人種が集まってきて出来上っている国アルゼンチン」と私は解釈しているのに、日本の血が一際目立つ由野に、アルゼンチンの名がつくチャンピオンの座を与えたくはないという圧迫。由野がもっとも信頼するコーチや仲間からの重圧を敏感に感じて「どうして由野が勝ってはいけないの」と涙を零す。
 人々の上位にたたない時点では見えはしないけれど、深く存在している人種差別の中に、小さな由野を置くことに胸は痛み、由野を励ましつつ神経が擦れる。私、大人に対する偏見なら我慢をしよう。けれどアルゼンチンを代表したいと願う由野にはあまりに厳しい。「もう日本へ引きあげてしまって、その年齢らしい場にほのぼのと置いてやりたい」との気持に負けてしまいそうになる自分を奮い起し、人種の偏見にも、体操の実力においても、負けさせてはならない。私の子供の将来のために、また大きく考えては地球のために。
 体操の競争にかさねて人種の重さがのっかったまま、国の大会の日となる。地図の上のみに名を知る地方からも、旅の思い出のある地方からも、とにかく国中から集まってきた選手達の中の唯一人の東洋系の由野。
 「決して由野に負けてはいけない」と教えられて神経質になっている同年代のこの国の選手達と、「順位なんてどうなろうとかまわない、今まで練習してきたことを一番上手にやって、お父さんと玉由と私に見せて頂戴」と話して聞かせた由野が対決しました。点数を計算するではなく、唯一彼女の実力が発揮出来ることを、体育館の片隅で願う私。
 「東洋系の顔がいや」と上を向くのも頑なに拒んで、私の胸を極限に痛ませていた由野が、落ち着いて、にっこりとさえしながら、失敗もなかった。少しでも由野の悲しみを和らげるべく、堤防のごとく毎日見守って、知り尽している彼女の実力を上まわって、全種目美しく、堂々と演技が出来ました。一番になるということへの難しさが私の目の前に展開されはしましたが、今までの我家系には無かったと思われる、大きな試合になっても、おどおどしないという新しい面を開拓して、由野は彼女の年代の部のアルゼンチンチャンピオンに決まりました。
 精神面、技術面共にこの数ヶ月間、自分を無にして由野を守った姉の玉由がいじらしく「生まれてこのかた今日が一番うれしい日」という父親。「お母さん、さあこれから良いことが始まるよ」玉由に祝される私。
 一つのことの一つの国の一番となれた日、家族からの「御褒美は何が良い?」に答えて水素が入った風船を「今日だけは、赤ちゃんぽいって言わないでね」とせがんだ由野。
「飛んでお空に行ってしまわないように」と手首にしばりつけて、ハカランダの花が淡く紫に見え始め、セイボは濃く赤く満開の時のバレルモの公園を、はしゃぎ、飛び跳ねる年齢の由野に強いてしまった、すべてに厳しい世界に生きてゆくスタートの日。限りない大きさを求めゆくことを切に願いながら、由野の後を追う。

 
 

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