アルゼンチンつれづれ(41) 1982年03月号日本へ
日本での去年ひと冬、夜洗って翌朝には着て出ると、一日も休みなく着続けてトレードマーク、皮膚の様になっていたアノラックをそのまま続けてアルゼンチンの冬でじっくり着込み、ようやく春めいてきたと思ったらまた日本の冬を凌ぐため、スーツケースに詰め込んだ。そのアノラックの持主の子供達にとってブラジルで過す幾日かが夏らしい夏休み 「たまにはブラジルにも来いよ!」と誘われても果せず、やっと子供達の父親の仕事の国ブラジルに、一家が揃うことになれば「さぞあちこち連れていってもらえるか、何か素晴しいことでも起るか」と思うのは考えが甘く、日頃お世話になっているという日系の成功者の素晴しいマンションへ、日本行のスーッケースもろとも預けられると「ちょっと」とそそくさと出かけたきり、頼りの人は何時になっても帰って来ない。たとえ布団がなくても、何が無くても、父親の住いで、子供達と三人で待っている方が、人様を騒がせなくてすむのにと思ってみても、もう選択は許されない。その場に至ってドジドジはせず、どっぷりとお世話になる。私には決してこんな立派に人をもてなすことが出来ない如き至れリ尽せり。おいしい物で三度三度お腹が弾けそうになり、いつになったらこの御恩返しが出来るかなとの思いが過ぎる。もっとこんな生活をしていたい!を振り切って、日本行の飛行機に乗って、干涸びた様になって成田着は寒い雨。ただ飛行機に乗るという動作をするのみなのだけれど南米大陸と日本は遠い。 「良く考えてみると、欲しい物がなくてもお金があるから何か買わなければと思っているんだ。それがわかったから何も買わないで貯金をする」と、何年来のお年玉などを着実に溜めている玉由が、日本に着いてひと言云った。「今、一番大切だと思いたった事にお金を使おう。死ぬまで溜めても仕方がないもの」と彼女の持ち前の大半をいさぎよく払って、スケートクラブの会員証を貰ってきた。「そうね、自分のお金を使った方が、時間もお金も無駄にしたくないと思うものね」と私。温度の変化を身体が調節しきれないのを補うかのごとく「それで動けるの?」とびっくりする程着込んで、時差にボケるなどと優雅なことも言っておられず、さっそく早朝よりの練習が始まった。 |
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