アルゼンチンつれづれ(43) 1982年05月号
由野の家出
「アルゼンチンで一番の体操の先生についているのだから、先生の仰有ることを良く聞くのよ」とアルゼンチン滞在中、私は由野にそう言って聞かせてきました。
日本に着いて、「日本の体操の目は世界のレベルなのだから、先生の教えをよく守るのよ」と何の疑いも持たず言いました。
アルゼンチンの先生から、スペイン語で習っていたのが、日本の先生に、日本語で体操を習うように変化して、今まで良いと信じて練習を重ねてきたことを、日本語でもって、根本から直されるという、由野にとっては重大な出来事に、多くを語らず、思い込んだことには一直線、他のどんな言葉にも惑わされることのない性格の由野の戸惑い、苛立ち、妥協出来ない動きを教える新しい先生に抵抗して、ブッ! とふくれて頑なに動かない。 体操が大好きな由野。続けさせたいと願う私、それには少しでも良い環境をと、数々の無理を道理にと捻じ曲げて獲得した日本での体操の出来る場所。
「今度だけは、私が先生に謝ってみる。でも、もう二度とお母さんにそんな恥をかかせるんじゃないよ。次にふくれた時は、由野が体操をやめなければならない時だよ」引き続き指導いただけるよう、先生に頭を提げて、そのことは、由野にも私にも、ホッと通り過ぎました。
しばらく後、体操教室へ出かけた私に「この間、由野がまたふくれましてね」「え!またですか」と私。「だけど『先生、ごめんなさい。体操を教えて下さい』と由野が自分で謝りに来ました。由野も成長していますね。僕もうれしいです」と若い先生の言葉。由野は私に、このことは何も語らず、聾桟敷の私ではありましたが、由野が一人で解決出来たことを秘かに喜びました。
そして三度目、「由野が言うことを聞きませんから、家へ帰しました」と先生からの電話。“何と言って叱ろうか、諭そうか”“無理強いしすぎているのかな”“行きがけ言葉で、体操をやめてしまうようなことになったりしたら大変だし”……あれこれ考えている私の元へ由野は、いつまでたっても帰って来ない。歩いて五分程の体操教室への道以外、未だかって、日の浅い東京で、一人で電車やバスに乗ったことはない由野が、どこかへ行ける訳がない。とは思いつつ、お年玉の残りがアノラックのポケットでチャリンチャリン音をたてていたことが頭を過ぎる。日々の行動範囲をくまなく探しても、八年間、毎日付合ってきた由野の姿はどこにもない。暗くなる前に何とかしなくては!
「今ね、由野が泣きながら来ましたよ」と田園調布からの電話。甘える所、何でもゆるしてもらえる祖母の所をめざして、バスに乗るとすぐ私に寄っかかって寝てしまう癖の由野が、寝ないで、泣きながら、降りる所を間違えないようにと全神経を張りつめて……由野にも家出が出来る程の度胸があったのだ。これを体操の上にプラスする方向に上手に導いてゆかなければいけない。
「由野がいなくなっちゃったら、お母さん喜ぶと思う?」「ううん」「お母さんは、由野が喜ぶように、由野はお母さんが喜ぶようにって、いつも思ってきたじゃない?」
「お母さんが怒って、体操をやめさせちゃうと思ったから」「こんなに長い時間、体操をやめるのはいやだと一人で考えていたのはつらかったでしょう。もう体操教室で怒っては、いけないよ、先生のおっしゃることが聞けるね」「怒らないで我慢する! そいで、今度家出する時には、ちゃんと電話を掛けてからにするから」と小さい声で言った由野。
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