アルゼンチンつれづれ(47) 1982年09月号
アルゼンチンへ一時帰国
「もう少しうまく書けないのかなあ」と常に思っているのだけれど、その下手糞な私の「サインが要る」となれば、日本式の印判を押すのと違って、「何秒間かで済む程のこと」とて本人が、ブラジル国、サンパウロまで赴かなければならない。
「二週間で帰るから、二人で暮していなさい」と置いてゆかれない年齢の子供達も連れて。日本に着いて七ヶ月間、一言もスペイン語を使っていないアルゼンチン生まれの子供達を、彼女等の国、アルゼンチンへほんの一寸でも戻してあげよう。
日本での新聞の大きな見出しに心配し続けた戦の終ったという様子を見てこよう。
子供達の味、アルゼンチンのクラッカーも買ってこよう。
たった一つのサインのおかげで、たちまち大義名分を沢山見つけだして、幾度も地球を巡ったスーツケースのまたまた登場。
「どうせ、いつでもあるのだから、慌てて買うことはない」と言い聞かされてきた、ちょっと可愛いい品々も、自分達の為ではなく、アルゼンチンの友達へのおみやげとなれば、玉由も由野も各々の小遣いをはたいて買いととのえ、『こんな物が欲しかったんだなあ』と私もいじらしくそれを眺め。
夏休みの宿題も、飛行機の中で片付けようと、日本語の辞書まで入れて、たちまち重く子供達の荷物は出来上がりました。
私といえば、日頃中断なしでは読み得ない本も、この際、上げ膳、家事ぬきの三十数時間の飛行中、スコッチと品川巻を相手に読みふけるかまえで、中身も装幀も軽いのを五、六冊。
夏冬を問わないジーンズの綿を中心に、Tシャツ、カーディガン、アノラックでラッキョウ型となり、さあ北半球から南半球への気候の変化への対応も出来上りです。
子供達にとって、品川駅より満員電車に乗って通学する方がより冒険であって、飛行機に乗ってアルゼンチンへ行くことはなんでもないこと。私は後についてゆけば良いだけなのです。
こうなってみると、お八つや御襁褓の手荷物、片手に由野を抱き、もう一方に玉由を引っ張ってまでも移動を試みた少し前の日々は確実に通過していってしまった。
あまり子供が小さいうちから、世界を見せようと張り切って、あちこち音に聞えた所に立ち寄ったので、もうさしせまって行かなければならない所はないと、安心しきっていたら、新婚旅行でハワイへ行く体操の先生に、「いいな! 由野はハワイへ行ったことがないの」と言ってきたそうだ。「え! 何度もハワイへは連れてったじゃない。ワイキキの砂の上を歩くの嫌がったじゃない」「覚えてないもん」何度目かのメキシコも、彼女等自身の目で見たのはつい先達て。
ペンギンよりちょっと大き目の玉由が、バタゴニアのペンギンの群を追って走ったけれど、ペンギンの方が速かった。あの頬が緩む満足感は私だけのものであって、玉由もまして由野の知る出来事ではない。
時間に追われて、直行便を使を最近、それでも日本、アルゼンチン往復で五日間の日付が消えてしまう。
「香港から帰ってきた時、水で光ってた田んぼが厚い感じの緑になって、お米がなる草があんなに育ったんだね!」御飯さえあればの玉由が、コンクリートの家の氷の日々にて地上では見せてやれなかった稲の様子を、ブラジルに向けて日本離陸の窓に寄って叫ぶ。
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