アルゼンチンつれづれ(62) 1983年12月号

上野をほっつく

 スケッチブックを抱え、木炭や食パンの入った袋を肩にかけ、もちろん動き易いジーンズ姿でオカッパ頭も学生時代のまま。通過していった二十年間という年月が突然取り払われて、今また私が上野をほっつき歩く。
 どこかへ出かけて行って、誰かに催促されなくても、自分一人で出来るはずの大人の年齢になっているのに、意志薄弱のまま、時は過ぎ、焦りだけは大きく蓄積されてゆく……の現状に耐えかねて、東京都美術館二階の、“関係者以外は立入禁止”である冷暖房完備のアトリエに入って行ける好運をものにしました。
 「売り物ではないのだけれど!」と戸惑う肉屋さんにわけてもらった経木。そのさわやかな素材に魅せられて、裂き、結び。結び目をアクセントと織った大きな壁掛が入選して、東京美術館の新装なる前の、天井高い立派な建物の壁を飾ったことがありました。大人の世界へ足を踏み込んだような、希望というものに向っているような、大きな上野の空を見上げた思い出です。
 そして急に、その時点まで生きてきた生き方を忘れてしまったように、どこに存在するのか、何が始まるか、物事を筋道だって考えられる程、人生に長けてはいなかったまま、アルゼンチンに住む人となっていました。
 日本へ帰って工場実習までして、コンデンサ作りがやっと上手になり、工場長、副社長までに成り上った立場から、また方向転換。 今度は○から○歳の子育てに取り組み……。子育ての延長として日本に帰り住むこととなり…。豊か過ぎる全てに、やる気をなくし、「お手伝い兼子守りみたいなことも、廃業してしまいたい。」とさかんに思ってしまう日々に、週一度ではあるけれど、“上野へ出かけてゆく”というアクセントが出来ました。
着衣だったり裸であったり、モデルさんがポーズしてくれてのアトリエでのひと休み、昼休み、それにずる休みを、さっと外にとび出して。
アルゼンチンヘの引越しに持って行ったのだけれど、織物のためにと櫛をいくつも誂えた十三家にも、またの出逢いが出来ました。 大きな蓮の葉を裏にしてゆく風、面白い造形の冬、移りゆく季節のその都度、歩み、たたずむ不忍池。
 初めて西郷さんの銅像の前に立った、今の由野より小さかった私が、彼を見上げながら“思ったこと”は今でも忘れてはいません。 何百年もかけて日本の人はうなぎが好きなのですね、そんな店。和菓子なら絶対という自信の店もある池畔。
 「家の中にお参り出来る所を作って」という由野の要望に答えぬまま、ゆき当る神様にお参りするのが私の方針と、お参り出来る所があちこちに。
 下町博物館というのが出来ました。私が育った時の生活用具、玩具がもう歴史となっているのです。切ない感じです。
 学校で“今一番行きたい所” いうテーマ の日、「上野動物園のパンダを見に!」と答えて「クラス中の友達からバカにされた。」という、時間のない玉由には“ナイショ”なのだけれど、私は毎週パンダに逢っています。アトリエの隣りが動物園で、パンダ舎を通り抜け、誰も群がらない、ひと隅の淡暗い檻の中に一匹の動物、ナマケモノが私の目当て。
 いつ行っても、何分間見ていようとも、一つの塊となってねむるのかびくともしない。 宇宙的に考えれば、ボケーとしていたっていいような、身近的には、何かしなければとあがいていなければいけないような。ナマケモノを見ながら私はごちゃごちゃ。

 
 

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