アルゼンチンつれづれ(71) 1984年09月号

玉由のアメリカ

 ポンポンとボタンを押すだけで繋がる国際電話での玉由から「こちらで知り合った浜松出身の人にとても世話になっているの、何か浜松の物……そうだ『うなぎパイ』送って、新しい友達がレバーぺースト好きだから、アルゼンチンのレバーぺーストの罎詰まだ家にあったよね、それも一緒に」
「世話になっている先生方、あの人この人に手紙を書いて!どうせ英語じゃうまく書けないでしょ、日本語でいいよ、玉由が訳すから」母親の面目を保たせるため、あれこれも指示をしてきます。
 「寝なさい」「起きなさい」「早くはやく遅れるよ」叱り、喧嘩し、あんなに手がかかって、イライラさせられっぱなしだった子が「一人で生きててくれるんだから、小包を作ることくらいなんでもありゃしない」と東京駅やデパートまで出かければ、浜松の物、信州の物……日本中の物が手に入れられるから長持ちしそうなのを選んでダンボールに詰める……。
 アルゼンチンヘ幾つも幾つも次から次へとダンボールが届いて、それを食べて生き延びていたことを思い起す。親が、遠く離れた子に荷造りをするという、その気持が今やっと『私の物』となりました。
 アルゼンチンでは、外国から荷物が届くと港にある不便きわまりない税関まで受取りにゆき、長く長く絶望的に待たされ、中身は、引っ掻き回し物欲しそうに調べられ、税金を払う。スペイン語がよくわからなかった頃は自分の荷物の番号が呼ばれるのが聞きわけられなくて、長く待たされるその間中緊張し、頭も肩もコチンコチンに疲れ果ててしまった後に、お茶や羊羹や日本の品々が、アルゼンチンの我家の歓声となるのでした。
 その経験を踏まえると、子供が一人、税関へ荷物を受取りにゆく訳にはゆかないのだから「送ろう!やめよう!」躊躇していたのに今のアメリカは各々の家に直接小包が届くということです。玉由が調べて知らせてきました。
 「『お母さんが喜ぶから、今度の体操の試合、ドジらないで一番になりなさい』ってこの前の電話で玉ちゃん言ったのに、今日は『玉由のメダルの数を追い越すといけないから全部失敗してビリになりなさい』って言うんだよ、どっちが本当なんだろう」と、戸惑っている由野は、「玉ちゃんが好きだから」と彼女の小遣いで何やら買ってきては留守の玉由の引き出しに入れています。
 今まで「調子が良いこと」「元気」「皆が親切にして下さること」しか言ってきませんでした。「きっと、いろいろあるにちがいない」と思うのに。
 リンクで練習中肘をひどく打った時も、痛む間は何も言いませんでした。治って、そんなことがあったと言い、私は、大至急の航空便で『打身に張ると良く効く』という物を送り、笑われたのですけれど。
 もう出かけてから二ヵ月にもなります。ちよっとガタがきているかな。
 玉由「ベッニ君がボロボロになっちゃて」「嫌なことがあったり、自分が暗くなってくるとベッニ君に八ツ当りしていたから」荷物になるといけないからと一つだけ一番小さい縫いぐるみのベッニ君を連れていってよかった。私「帰ってきたら、繕って直してあげるから」玉由「だけど玉由は大丈夫、自分がスケートの練習に来ていることちゃんと知っているから、ニコニコしていられるから」
玉由「玉由が日本へ帰ったら、お母さんは地獄になるよ。言うこと聞かないし、起しても一時間はねばるからね、今のうちに楽をしておいて」
 「玉由!やりとげなさい」一人でアメリカで何が出来たか、あと二週間したら見に行きますからね。

 
 

Copyright (C)2002 Yuri Imaizumi All Rights Reserved. このページに掲載されている短歌・絵画の無断掲載を禁じます。