アルゼンチンつれづれ(75) 1985年新年号
新宿御苑
「お母さん、大変大変、葉っぱがいっぱいあるよ」新しい住いと決ったマンションの回りを「探険してくる」と出ていった玉由が屋上から大声で呼びます。
目の前が“広大な新宿御苑の広がり”とは知っていましたが、私の窓三階からは、塀にそった木々が大きく続いているだけで、その奥行きは見えませんでしたし、また見えるものだとも思いませんでした。
子供に誘われ、八階建の屋上に登って驚き。小さく見える向う側のビル群を堀として、様々な種類の木が、各々の秋色。御苑の反対側には、明治神宮の森。それに続く代々木公園と木また木。東京にこんなに沢山木があったなんて。「えらい所に住むことに決めちゃったぞ」
本拠地アルゼンチンに住んでいた頃のこと、ブラジルでの仕事を滑らかにする為のパーティーや夕食会に出席することが私の仕事?でして、その晩御飯の為にだけ、飛行機に乗ってブラジルへ行くことがしばしばでした。夕食に間に合うように昼間の旅でしたからアマゾンの樹海がよく見えました。多少のモコモコがあるだけで、あとは深い緑。この視界の限りの緑の下に、じっとりと密林のすべてが潜んでいるのかと思うと、身震いする恐しさでした。
樹海に沈んでゆく太陽を見、樹間の河の蛇行も。飛行機が低く飛んで、緑に近寄った時、樹々のエネルギーに窒息しそうで、それでもなおかつ“一枝欲しい”と思ってしまったり。
恐しくても、アマゾンの樹海を飛ぶのが好きでした。
アマゾンに心を奪われて着いたブラジルで、きれいに着飾った人達と、ブラジル風ではない“フランス料理を”ということが多く、そこでニコニコしている自分を「カメレオンみたいだなあ」と思ったりしたのでした。
そのおどろおどろしいアマゾンの樹に比べたら、やさしく、こまやかで、木の下に毒虫も毒蛇もいない安心安らぎの東京の木々。
学生時代、よく御苑にスケッチに行きました。今、アルゼンチンの家の物置に入り込んでしまっていますけれど、その当時は、地球の最先端をゆく気持で描いた図案。まだ外国を知らなかった日、東南アジア、アマゾン、アフリカの……と思いを馳せた大温室の屋根が木の間にチョッピリ見えています。
せっかく御苑全望の所に住まうのだから、昔のことと葬ってしまわないで、最先端の気持を自分に取り戻す努力をしてみましょう。 アルゼンチンで、住む所を探した時は“朝目覚めてカーテンを開けると、ラプラタ河の河面がキラキラ輝いているのが見える部屋”に住みたいと願いました。
晴れても、雨でも、ラプラタ河が見える窓は、最高級住宅であって、私が選べたのは“屋上に登れば、黄土色のラプラタ河がそれでも見える”という建物の中にありました。
今度もまた、自分の部屋から、朝も夜も、春も冬も、御苑の木々が見下せたのなら、どんなに良かったことでしょう。まだまだ、屋上に登って目的を果す、という因果はつきまとっているようで。
ビルの間を巻き上げる風の日も、雨が少しくらい降っていても、毎日屋上へ登ってゆくのが只今の楽しみ。何しろ、今は忙しいのです。毎日の変化、たちまち色が変り、そしてたちまち葉っぱが減ってゆく。枝々が透け木の向うに木が重なるのが見えてくる。鳥達が以外と沢山。
私の家の中の本棚のガラスにも、御苑の木が写っています。自分の部屋のガラスに写る木が揺れ、葉を落すのを知った時の感激。今年の秋は葉っぱだらけ。
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