アルゼンチンつれづれ(79) 1985年05月号
ジュニア・フィギュアスケート大会
“暗い”“寒い”“怖い”防犯ベルを手にしっかり持ち、早朝トレーニングの玉由をスケートリンクまで送っていた悲槍な日々はどこへやら。五時に目覚し時計が鳴る時は、もう明るいのです。明るくなってから目覚めるなんて“贅沢”。御苑に寄ってくる鳥の鳴き声など楽しめるこのごろ。
スケート関係以外のことは何もかも取りのぞき、ただひたすら練習してきたんだもの。もうそろそろ良い結果が……とあせる。
今年の全日本ジュニアフィギュアスケートフリー大会は名古屋で開かれました。
名古屋へ行って二晩泊るとなると、必需品でパンパンになったカバンと共に、「玉ちゃんにばっかし」なんて少々すねている由野を久我山に一方的にあづけ、荷物だらけの移動を余儀なくされるフイギュアスケートの宿命を肩にかけ、春休みの子供連れの人混みを掻き分け掻き分け新幹線。
離れ離れの席でも確保出来た幸せは、後から乗ってくる人々に教えられ、さて“ゆったりと春景色を”とはいっていられない。まだ作りかけ、今回の試合用コスチュームを仕上げてしまわねば……と光る物、糸、針とにぎやかに取り出し“お仕事”。
“富士山見るの忘れてた!”“豊橋、幼い頃の遊び範囲、お寺の屋根は見逃さなかった”
せっかく日本に居るのに、父母の家へもう何ヶ月も行ってない。世の縦、横に交わって生きるのが人の道理なのに、私の教育方法ときたら「片端」をわざわざ育てているようなもの。練習という言葉が最優先し、家族単位の生活も、花が咲き始めること、美術館、子供同士のパーティー……みんなみんな切り捨ててしまって。アルゼンチンの生活では居侯、来客、ワイワイだったのに、お客様を迎えるということも忘れて日が過ぎる。
日々の生活管理、出来得ることは全部して子供達に接しているけれど、片寄った一人良がりの頭で考え、実行……思うに任せない結果がついてまわる。全てを私にまかせ、したい放題をさせてくれている子供達の父親の“大きな大きな期待”に押しつぶされてしまいそう。彼は何も悪くないのに、立派なだけなのに、離れ住む父親に立派なことを報告出来ないつらさに“電語が掛からない方がいい”逃げの気持になっている。子供達も悪くない。満足出来ない結果はすべて私の責任。悪い結果は大嫌い。子供達にこんなことを強いなかったなら、海や山や、世界中の行きたい所へ行き、良い気持のことだけしていればいい生活が出来るのに……。
名古屋に着く。タクシーで宿に直行。初めてのリンクの氷りに慣れなくてはと、スケート靴をかかえ、すぐリンクで練習。「電気で凍らせた氷とガスで凍らせるのとでは、氷の質が違うから調子が狂っちゃって」「世界中のどんな氷にだって平気ですべれるようにならなくちゃいけないのに、氷の質なんて賛沢言うんじゃないよ」と喧嘩は続く。朝六時より、夜十一時頃までに渡って、自分の持時間何分間かをこなすために、リンクヘ行ったり、ホテルに帰ったり、とにかくリンクに一番近いホテル、地下鉄で四つばかりの駅の間を、往復するのがスケートの試合なのです。使っても役にたたない神経ばかりを大いに使いつつ。
名古屋に住む姉上にも町もお城も何もなしで、由野が待つ東京へ一目散でしたけれど、スケートの為に日本へ住み始めて三年。念願だった最終滑走グループに残れて、三年間の手ごたえをちょっぴり得ました。そしてまたまた始めてしまった因果に向かって。
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