アルゼンチンつれづれ(80) 1985年06月号
里帰り
「ちょっと里帰りしたの」なんて玉由が友達に話しているのが聞え、びっくり。今までかつて私が“里帰り”という言葉を使ったことがなかったのに、いつの間にやら日本を吸収しています。それも、アルゼンチンを“里”だと思っているんだなあ。
日本の生活に追われ、延ばしっぱなしにしてきてしまったのに、もう時間切れで書類の書き変えにブラジル、アルゼンチンヘ行かねばなりません。
「どうしても運れていって」と玉由。「今一番忙しい時なのだから二週間も体操を休めない」とは由野。
またまた由野を久我山の姉にあづける仕度。「帰って来るまで八重桜もたないから見とかなくちゃ」と御苑まで走ってゆく。「もう卵産まれてるのかな」と私の窓の正面に出来たカラスの巣を望遠鏡でのぞく、帰ってきたら葉が茂ってきっと巣が見えなくなるだろう。アルゼンチン、ブラジルでのあの人、この人を思いつつおみやげ探し。だいぶ前から食物制隈をして、ほとんど空になっている冷蔵庫は安心。
荷作りのスーツケースを二つ広げると、歩く所がなくなってしまうような簡単な生活をしているにもかかわらず、続いている生活をちょっと止めるために、あちこち電話をしなければいけなかったり、旅慣れているとはいっても、やはりあわただしいこと。
“また沢山飛行機に乗るんだ”と拒否の気持と“心から私を待っててくれる人がいる”アゼンチンヘの懐しさと……いつ成田までたどり着けるかと絶望的な渋滞の中に身を置いて旅の始まりです。
リオデジャネイロからサンパウロ行の飛行機には、すぐ乗りつげるはずだったのに、サンパウロの国際空港が霧で閉鎖中とのこと、ポルトガル語のアナウンスで延々と待たされこの時になって始めて、今年の手帳にブラジル、アルゼンチンの私が電話し得る所の電話番号が一つも書き写してないことに気付き、“もし食い違いがあったら”こりゃいったいどうしたもんか。
かなり後れて着いたサンパウロの空港は今まで何度も降りたった見おぼえのある所ではなく“霧で違う飛行場に予定変更してしまったのかしら”都会らしさのまったく無い、切り開いたばかりの様相です。訳の解らない空港で、こんな時に隈ってスイスイと税関を通り抜けてしまって…。やはり迎えてくれるはずの人は居ません。荷物を運んでくれたポーターが、チップを待っていますけれど「クルセイロはないの」「ドルでもいい」「ドルも持ってないの、日本円にしといてね」と一方的に百円玉を二個取りだしたら、何とも情けなさそうに去ってゆく。物騒だ!恐しい!と洗悩され尽くしているブラジル空港の玄関で、探し当ててもらうまで……。長期戦のかまえ。スーツケースに腰かけて本を読みだしている玉由。大人として、こうも受身であっていいものかと“ああしてみようかな”“こうしてみようかな”“じっとしているに隈るかな…あらゆる考えらしきことを10分20分30分…。
“あれ!もう着いていたの、そんなに早く出くるわけないと思ってあっちでカフェ飲んでたんだ”と子供達の父親の出現です。
“今度サンパウロの空港が新しくなってね”来る前にひと言教えといてくれれぱ霧で変な所に着いたのかなんて心配しなくてもよかったのに。「事務所も先週便利な所に引越したんだ」「今住んでるのは、この前一人で探して買った所、良い所だよ」“先日までの電話番号を書き写す”どころではありません。
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