アルゼンチンつれづれ(83) 1985年09月号

神宮外苑

 アルゼンチンという外国で、大人としての生活を始めるにあたって、前後左右の様子、日本の仕来りなど伺うことなく、何もかも独りよがりの思いどおりにしてきて“盲蛇さ”を増長してしまった私は、子供達を育てるにも、小学校は生まれた国アルゼンチンのスペイン語で終えたい。中学は祖父母の日本で日本語とまつわる諸々。高校は良きも悪きもアメリカ。大学はフランスで、ヨーロッパを学びつつフランス語。とジプシーのように地球を移動しながら親としての教育義務を果し、私も子供にかこつけて変化を楽しめる……。と計画という程でもなく“そんな風にしてみようかな”なんて考えていましたのに、語学のみならず体操とスケートが加わったことにより、年々低年化しているスポーツ適応年齢のうちに鍛えられるだけやってみなければ、と急遽予定が未定のままの玉由小学校四年半ばでアルゼンチンを離れてしまい、由野に至ってはたちまちスペイン語を忘れてしまいそうなのを、おっかなびっくりみつめて、何とか今日に。
玉由は、大きなアルゼンチンの空の下、道なきカンポを自転車で苦労する味を知りましたのに、由野はもう少しで乗れるようになるという段階で中断。日本に来てからは“仮住いだから自転車なんて買わない”“アルゼンチンの家にあるのだから”“こんな細くて曲った道に自動車がいっぱい、あぶなくって”と禁止令を出しっぱなしにしてしまっていたのに、中学一年になっても自転車に乗れないということに気付いた由野が“自転車、自転車”と言いだしました。
 “虫歯になるから”と禁じていたチューインガム、ある日我子等が、フーセンガムをふくらませることができないことに気付き……ガムを山ほど買い込んで特訓をしたこと。
 “え! 出来ないの、まさか”あせって縄跳びに明け暮れた日々。おはじきが出来ない。お手玉も。こんなこと教えられて覚えることじゃないのに、“どこへでも行って、一人で勝手に覚えてくる”ということがない現代の生活で“教えたことしか出来ない”“私が話して聞かせたことしか知らない”時々唖然としてしまう。
 私が経験したあぶないこと、面白くないこと、必要なかったこと……先回りして取りのぞいてあげすぎた。自分で体当り、手さぐり頭を使って知ってゆくべきことを……。“私の大失敗”“ブッコワレ親”反省の多い子育。
赤いピカピカ。由野の名前が書かれ、防犯登録番号のついた、日本国の正式台数に数を連ねる自転車が、小さなマンションの玄関を占領しました。
 学校がある、体操が夜中まで、雨がよく降る……出動する機会のなかった新車が、夏休みに入りやっと活気をおびました。
 いくら非常識の私でも、仁王のように立ちふさがって自動車止めを出来る訳でもなく、ひっきりなしの自動車に恐しい思いをしながらも“日本の子供達は、こういう状況の中で上手に乗りこなしているんだから、我子だって”と勇気を振い起し。
 幸い神宮外苑、またまた明治神宮の範囲内に、日曜日自動車止めをして、自転車、ローラースケート、ジョギング、小さな子供が親の手を離れヨチヨチ歩き……できる所があることを知り、せっせと通うこととなる。
 赤い自転車の由野が私の視界から消えてゆく……。赤い白転車の由野が私をめざして帰ってくる。やれやれ一件落着。

 
 

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