アルゼンチンつれづれ(87) 1986年新年号

時差

 時差ということに支配されている地球時間の中の、私の生活の時間は無視され“丁度寝付いた夜中であれ、もう目覚し!と錯覚する早朝であれ”電話のベルは鳴る。受話器を取り“ピッピー”の音がまず聞えると外国からで「どこの国かな?」もちろん私には、家業の事務所があるブラジル、アルゼンチン、アメリカなどの国からですけれど。仕事上の一つの中継点としての立場であったり、アルゼンチン、ブラジルの友達及びその親戚、友人が訪日のこととか……。一目逢ったこともない人と話をすることも多い。それもポルトガル語だったり英語であったりするともう疲れる。最近では、スペイン語の時ですら言葉が出てこなくてオタオタしてしまう。同一民族が同一の言葉で暮せるということは、身体がゆるんだままみたいな気楽なことだとつくづく思う。
 文字を書く、新聞を斜めに読む……その上手下手は抜きにして、こんな芸当が出来るのは私には日本語だけ。大人でありながら“大体の次元”で暮した長い日々がどっと重い。最近とみに言葉のわからない生活をするのはもう“厭”との気持があるけれど、現実は…。
オタオタ話した相手が東京へいらっしゃる。一億何千万もいる日本人のその中の唯私を目指して来られるとなれば、何としても役に立たねばなりません。
巨大で髭モジャの外人が現われたり、アタッシュヶースがよく似合う人だったり。「ドミニカってどの辺にあったっけ?」と目がデカイ美女の相手をさせていただくことも。もう四年前の由野が、体操の最年少の都のアルゼンチンチャンピオンになった時、体育館の隅っこで由野を見守ってた私を見ていたから「貴女のことは知ってますよ」なんて人の出現があり「ごめんなさい。こちら気付かなくて」……などなど。あの電話の声が、この顔と繋がる対面が出来ると、今度は“食”へと進行します。
生まれ育った土地の物しか受け付けないという優雅な人もまだこの世に存在し、ブラジル事務所のルイスは、高見山を若くしたみたいな巨漢にもかかわらず、赤ちゃんの時から食べ続けているフェジョン豆を一袋と、味付け用の調味料を持って来て“それだけ”で日本滞在の一週間あまりを過そうというのです。目分量なんかでなく、ルイスの処方どうりに私が煮たフェジョンを、毎食事毎食べに我家へ現われる訳で、可愛いくもあり、可哀相でもあり。「日本の味を、ちょっとでもためしてごらん」との私の誘いにニコニコするだけで全然だめ。ルイスの豆が我家の匂いとなってしまう中で、子供達は「あんな大きな身体が豆だけで出来ているんだね、豆ってすごい!」「一生豆だけ食べて生きたくない」などなど。
 ルイスの豆とまでは言わなくても、自国に近い食物を探そうと努力する人。このタイプの人が一番つらい思いをします。調理方法はほぼ同じかに見え、口にするとその味は日本風にアレンジされているので落胆は極度。
 日本に来たから日本の物を、という積極的な人には、テンプラ、寿し、焼鳥などカウンターで職人の仕事振りを見ながら、何らかの会話らしきをというのが好評ですが、中をとりもつ私にしてみると食事というより、ショーの司会みたいなもので……。
 セリーナの従妹のアリーシアは「なぜ、日本へ子供を連れて帰ってしまったのか理解出来なかったけど、今度日本へ来て、見て、良くわかった。これからの子供は日本を知るべき、ゆりの国おめでとう。ゆり正解!」畳に坐って。すき焼の席にて。

 
 

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