アルゼンチンつれづれ(95) 1986年09月号

万里の長城

 アルゼンチンの人々と交って暮らしていた頃、「日本は好きだけれど中国は嫌い」と、私への社交辞令でしょうか、よく言われました。その都度、「やっぱり私達東洋人に差別の気持があるんだ」と淋しかったこと。
 私の感覚が劣るのかもしれませんが、東洋人の私が、外見からは中国、韓国、日本……の人の区別はつきません。そんなに難しいことなのに。言葉だって、一般的アルゼンチン人にすれば「唯難解」。文化、習慣も西洋側からみれば、方言程度の差くらいではないでしょうか。
 とにかく、アルゼンチンヘ行って、自分が日本を知らないことを知り、それと同時に、「アジアの国々」「とりわけ中国」を見てみなくては、という思いを持ちました。
 日本に住めば「すぐ行かれる」と思いつつ切羽詰ってしまった感じで中国行決行です。 中国ったって、あまりに大きい。どの辺でも良いのだけれど、一番おのぼり的発想で、「万里の長城」に焦点を定めました。時間と目的が合った植村公子さんと二人で、北京へ向け四日間の旅。
 地図を広げ、飛行機の窓の人となる。梅雨の日々、飛びたってずっと厚い雲。「このまま何も見えないのかしら」と思う頃、雲が切れ、黄色い河。「飛んできた時間からして黄河ね、きっと」憧憬が現実と見える。「あ!また雲」「今まで見えたところ全部耕してある」「それにしても大きなペッタンコ」
 大地に私達の乗る飛行機の影が近づくと、玉蜀黍畑、その大きな葉を乱して北京空港に着陸。
 「あ!中国の匂い」中国料理の香辛料が空気にまで溶け込んで。「よかった」と思ってしまうような笑顔の中国のガイド氏に迎えられる。ほとんどのことが知らないまま来てしまった中国で、思いもかけず、運転手付き冷房ありの乗用車の主人となって、四日間が過ごせることを知らされました。うれしいような中国に来てまでも……みたいな。
 案内してくれるガイドと運転手が元紅衛兵だったことを、さっそくに聞きだし、訳知らず「恐しい」と思った文化大革命直接の二人が今、同行という縁。
 快適な道を快適に走り出し、ポプラ並木、馬車、自転車……みんなゆったりゆったり、見ゆる限りは平たい農場。自分さえ車に乗ってしまえば「天国への道かしら」とも思ってしまうような身勝手さ。
 町に入り、満員のバスに並行する。夥しい自転車、荷かごに西瓜など入れて。歩道上での物売り。高級車の自分達が後ろめたいような気がして後席で小さく硬くなりました。
 中国各地からのおのぼりさん達も旗にせかされての団体、日本からも、英語の人もポルトガル語も聞え、休日でもないのに人、人、人。何しろ十億の民です。ガイド氏が、「五億にまで減らなければどうしようもない」と言いました。“一人っ子政策”が始まって七年とか、“一人っ子”の年齢の行列もあります。その人々に混って、超立派な名所旧跡。ガイド氏の誘導に素直に従い、観光客が見るべき所は皆見ました。驚き入りました。圧された多くの人々が思われました。時々は合歓の花咲く木蔭で休み、ひたすら歩き、槐の街路樹がどこまでもどこまでも。脹った脛が痛みました。白もピンクも蓮の花時。
 「僕達が壊した」という復元まもないお寺も。もう永久に消えてしまった寺院も数多とか。砕け、ころがる石像群にも出逢いました。「もったいない」直接破壊に参加したガイド氏の“つぶやき”も聞きました。

 
 

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