アルゼンチンつれづれ(96) 1986年10月号

北京見聞

 「中国が如何に歴史であるかってことは良ーくわかった。だけど、今の普通の人の生活、走る車の窓から見えることだけではなく地球上でも特殊な国の庶民が、どんな所で、どんな買物をし、生活必需品は……とか。せっかく中国に来られたんだから、知りたい」
 ガイドをしていただけるコースには入っていないから、と渋るガイド氏を口説き落し、町中の普通の市場を見せてもらいました。
 中国料理で馴染みの干した物は、さも有りなんと見受けましたが、野菜の種類が少なくその上貧相なこと。飛行機の窓から見下ろした中国は、えらく豊かに耕してあると見えたのに。日本で最近流行っているツヤツヤ葉っぱの中国野菜なんてどこにも見当りません。どこか隠れた所にあるのでしょうか。
 我家では「楊貴妃が好きだったんだって」と液を滴らせて、シーズン中には毎日いただく茘枝ですが、本場では小さく萎び、カビも生えているようなのを「楊貴妃が好んだ」とガイド氏が指し示し、説明してくれました。 前夜の料理で、エビが歯にグシャッとして「新しくない」と思ったのでしたが、案の定魚市場はみじめでした。シャコ、イカ、針魚、太刀魚が種類で、状態といえば冷凍後のグシャグシャ、身が切れ、つぶれ……「こんなの買う人がいるのかしら」「お腹こわす」
 肉類も、色が変ったような品。
 中国の人に並んでピータンを買ってみました。書いてあるとおりのお金を払ったのに、おつりがいっぱいきたので「どうして? どうしてなの?」ガイド氏は、中国の人と外国人とは、お金の価値が違うお札であることをチロリと教えてくれました。ここ市場は、外国人用の気構えがなかったのです。
天安門広場辺りでも、どこもかしこも人々は自転車ですから「あんな風に中国国産の自転車に乗りたい」「中国の人達に混って走ってみたい」と駄々をこね、やっぱり思いを貫きました。
 北京の町を自転車の視角からも眺められた。中国の人達が見るのと同じ景色。
 普通の人が普通に働いて二ヵ月分の月給に相当するという自転車は、やけに坐位置が高く「中国の人ってこんなに足長いのかな…」 買物をし、自転車に積み、そして「帰ってゆく家を見たい」私達の言い出したら利かない我が儘振りに観念したガイド氏が、「僕の家に来てもいいよ」「行く! でも誰かに叱れるってこともあるの?」「あなた達、中国人に見えるから大丈夫」
 公式の観光を終えた夕刻、本当にスリリング。「僕は良い生活をしている」というエリートである彼の家は、赤レンガで出来た同型の建物が幾棟も並ぶ新しい地域の中にありました。階段に電燈はなく、手さぐりで五階。六畳程の部屋が二つ。真中に小さな台所。不思議なことに、あの中国料理を連想する台所用品はほとんどなく、料理をするという気配なし。「全部外食?」「家でも食べるよ」
「お風呂は?」「入りますよ」答えてもらっても要を得ません。とにかく物がない。壁には墨絵がいっぱい掛っていましたけれど。
 階上に住む三代医家という彼の友人のお医者さんが訪ねて来て、漢字を書いたり、読んだりで中国の、他の国々の医療の話などしました。そしてちょっと疲れちゃった友人に、針や弱電、マッサージとで全身をほぐしてあげるのでした。頑丈な私は、中国何千年もの医学の世話になることはありませんでしたけれど、顔や生活を思い浮べられる友人が出来ました。

 
 

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