アルゼンチンつれづれ(118) 1988年09月号

高校を飛び級

 「土曜日にテスト受けるんだけれど、グレンデール大学へ連れてって!」と玉由。「何のテスト?今の学校じゃない所で受けるわけ?」と質問ばかりの私。突然、突っ拍子もないことが起るのが常。玉由「十年生を終えると受けられる高校終了検定試験よ」私「貴女まだあと一年間高校あるはずよね」玉由「だけど、まあ、受けてみるのよ」私「フーン!」とさっそく地図を広げ場所調べ。私「何はともあれ、せっかく二つのフリーウェイを乗り変えて受けに行くんだから、少しは受かるべく努力をした方がいいんじゃないの」ということで、出入りの激しい玉由が二晩ばかりは静かに部屋に籠っていた。
 玉由の高校一年はひどかった。芸能関係や何かを志していて、まともに学校へ通えない子達が行く学校。アメリカのスケーターが皆そうするように、玉由も選んだから。出欠とは一切関係なく、学校で授業を受けても良いし、行かれない場合は、家庭教師で勉強をしても良い、ということで、毎日送り迎えするのは、その当時の私には無理と思えたので、週二回程、家庭教師が我家にやってきていた。やっと軌道に乗ったかしら、と思えた時、のっしのっしと我家に現われていた先生が、急に細くなって「元気ないみたい」と思っているうちに、死んでしまった。今流行のアメリカンダイエットで50キロとは、私一人が消えてしまったことになる程の減量で。あきれるやら、悲しいやら、ショックでおたおたしていて、後の先生がなかなか決められず……。やっと勉強を始めたと思ったら「数学が全然わからない先生なんだよ」という悲劇。家庭という気安さから、あちらの都合、こちらの都合としょっちゅう中止があり、こんなことしていたら玉由が壊れてしまう、と二年は近くの高校に入学させたのだけれど、アメリカの悩みは私の悩みとなってたちまち。
 たばこなんてのは序の口。アルコール、麻薬、ギャング、無法運転……玉由が、こういうことに参加しているというのではないけれど隣りに存在する。玉由「何をしていても親が興味を示さない子達なんだよ」という生徒という名の集団。玉由といつも話し、目を離さず彼女も「そんなバカなことはしない」と言うけれど、もう「こんな中へ普通の子を入れておくのはいけない」と思い始めて二年生が終了。
 「四時間ぶっ続け、それも机がなくて、膝の上で書くんだよ、身体は痛くなるし、ちゃんとした洋服じゃ努まらない、もし落ちてたら次のテストの時はトレーナーで行くよ」「皆すぐ居なくなっちゃって、試験放棄したのかな、ちゃんと最後までやってたらやっぱり四時間がギリギリだったのに」「受かるかどうかは一ヵ月後に知らせてくれるって!」と大学の駐車場で待ってた私の所へ飄々と帰ってきた。
 そんなテストを受けたこと忘れてしまう頃「パス」という通知が来た。私「こんなに簡単に飛び級しちゃっていいのかしら、ほとんど高校生らしいことしなかったのに。どうしてパス出来たのかしらね」玉由「それはね、試験の間題を作る人も人間、自分も人間、人間ならどう考えるか、という発想でテスト受けてるから、年齢相応に基本的に知ってなければいけないことだけ知っていれば。暗記とかそんなんじゃないんだ。」ちなみに玉由の愛読書は、英語とか日本語とか、とにかく辞書。
 もう大学を受ければ良いのだけれど、それより前に、降って湧いた一年間をスケートに専念し最後の仕上げをしなくては。それから後、世界中のどこの大学へでも行けば良い。

 
 

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