アルゼンチンつれづれ(124) 1989年03月号

フランス・スイス・スペイン

 憧れの写真だったり、図案、物語りからの想像、映画、テレビ……生きてきた量だけのヨーロッパアルプス地方への“百聞”が“一見”となって連なるドライブ。確認をしているというか、見なければいけなかったものを物心ついた子供達に見せているという安心。 素朴なイタリアの田舎を走り、雪のモンブランに突き当ると、何本かしら旗が立っていて、つい先程までのイタリア語はどこへやら。
 玉由が叫んだ「理解出来ない言葉を話している国って初めてだ、言葉がわからないってことあるんだねえ」由野は、学校でフランス語を習っているから、皆で由野を頼りにする。
 フランス語の人にパスポートを見せ、モンブランのトンネル使用料をフランスフランで払うと、たちまち風景もフランス的。雪をいただく山の木々までフランスっぽくて。
 「シャモニーが近いから、ちょっと寄っていきましょう。」いきあたりばったり、気の向くまま。「世界中のお金持がスキーをするところ」「御伽話の中に入り込んでしまったみたいにきれいなの!」「フランス人ってきれいにするのが上手。」「いつも飲んでるアルプスの水エビアンって、この近くで湧き出して、カリフォルニアとか世界至る所に運ぶんだね。」「日本に居た時、富士山印の水の源を見に行ったっけ!!」「どんな物を、いかに運ぶか、というのが今の商競争なんだね。」
 地図を広げてのドライブ、「ジュネーブも近いよ、行ってみなくては。」
 旗が立っていて、今度はスイスフランで道路代を払うとスイス領。「スイスっていえば日本で憧れの国のトップ、さすが豊かな清潔さ。」「この国はいいね!」「国連の建物よ、こういう所で働いて、世界が戦いを忘れるのに役立って欲しいって思い、言葉のこと、スポーツを通じての友情……を心掛けて貴女達育ててきたんだけれど、赤ちゃんの時張り切って言いすぎて、大きくなってからは、私の考えをあまり押し付けちゃ悪いと思っちゃって…。」「え!そうだったの、そうかー。」と目を丸くする玉由。ずっと一緒に住んで見守ってきて、それでこんなに通じ合ってなかったんだ、とびっくりする私。
 レマン湖のほとり、満月が小波にゆれ、ジヤガイモとチーズのスイス料理ラクレッタに夜が更けて、もちろんワインもとっても良い。
 日本の天皇制みたいに、ここは世界のオアシス。
 スイスを走り、またフランスを。工場地帯、保養地、田舎、畑け……地中海岸に出て、ピレネー山脈に日が沈み、まっ暗くなってからスペイン領に辿り着く。「今度はペセタ。」と言いながらも、ホッとするのが不思議。通ってきたヨーロッパの国々みなアルゼンチンみたい、似てる、と思い来て、スペインは増々アルゼンチンみたい。だから外国へ行く、来た、という物珍らしさが、私達にはない。ソンといえばソン。楽といえば楽。
 バルセロナ、サラゴサ、セゴビア、アビラ、トレド等々…ドングリばかり生えている所、石ころごろごろの地、オリーブ畑け一帯、スキー場、石を積んだ水道、お城、長い長い城壁、城下町…「観光みたいなことしてきてみて、昔の人って偉かったんだね、昔作った物を見にくる人々を頼りに今の人、生きてるんだから。」とスペインを知り、現実の我家のこと、新しく事務所を開いたマドリッドに落付く。
少しスペイン語の話し方がちがうという程度で、町並も、ふとアルゼンチンの友人達を思い浮べてしまう姿の人々。そして新しきことをまた。

 
 

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