アルゼンチンつれづれ(123) 1989年02月号
イタリアへ行く
「一生に一度しかない十七才のクリスマスを友達と過せないなんて!」「せめて、学校が冬休みに入ってからにして。」等々注文が付いているのにもかかわらず、南米から立ちついでの子供達の父親も交え、申し訳け程度の旅仕度でワヤワヤと二週間のヨーロッパヘの旅に出かけてきてしまった。
まず、アメリカ西海岸から東海岸まで、二一時間の時差と、飛行時間五時間で大きなアメリカを横切りニューヨークヘ、ニューヨークで飛行機を乗りかえ、八時間で大西洋をひとっ飛び。
目覚めれば、朝になってゆくヨーロッパ大陸の上空でした。いつかイタリア行を計画した時は、大地震があり自粛してしまったので、とても良く知っているみたいな気持になっていたイタリアは、子供達と私にとって始めてだったのです。ミラノヘはLAや成田の飛行場のイメージだったのに、非常にこぢんまりとした“田舎”だったのが意外。
車社会で“こんなことで車に乗って行ってもいいの”というくらい簡単なのに慣れてしまっていて“ミラノで借りてマドリッドで返す”いう予約済みのレンタカーの手続きに、飛行場のベンチで、浮浪者になってしまったほど長く待たされ、今回の旅の、イメージとの食い違いを覚悟したのでした。
高速道路と畑と家々との共存にほっとするのも束の間、古びたミラノ市内の狭い道に車だらけ人だらけ。有名な歴史上の建造物を二、三レンタカーの窓越しに見ると、「もういいよ、こんな混雑。」ということで、観光客らしい買物などせず「あとは必要にせまられた時のお楽しみに。」と残すこと多くして次。
アルプスの山々の谷間に点在する村を“ハイジなど思いながら”飛行機の窓にくっついて見たのだけれど、今度は、そこをイタリア製のレンタカーアルファロメオで走るのです。
町の混雑をしりめに、一歩町をはずれると道はガラガラ。「これが日本だったら、ぎっしり車で埋まってしまうんでしょうね。」などと一五〇q程でとばす我車を追い越してゆく車があるのですから相手は一八○qか二〇〇q…でしょうか。「よくまあ、あんな小さな車で!」アメリカの目で見るとヨーロッパの車は全体的に小型。そんなことより何より、物語や憧れの、雪のアルプスの遠かった山々が、どんどん近付きたちまち山の谷間の道となる。
冬枯れて静かな色、驚く程細やかに麓を段々にしたブドウ畑。石、レンガの古びた家々の暖炉の煙が谷間に流れ、所々の山の頂上に年代物のお城みたいなのが見え…アルプスたけなわ。
「こんな所に往んでいる人達に、日本の電化製品だのハイテクだのと騒ぎたてることないね。」「そんなこと言ったって、まず車は要る、電話、冷蔵庫……ということになって。」「自分だけ楽して、ひなびた村を観賞用にとってこうったって、そんなの狡いよ。」「こういう所に住んでいる人達って、知らないこといっぱいあるだろうね、かわいそう。」「知らなくても暮してゆかれるのだったら、その方が幸せかもよ。」「この辺、若い人居ないんじゃないの。」「若い人には“ここのこれ”じゃなくちゃ、としがみつくみたいなの似合わないものね。」「ずっと伝わってきたアルプス地方の生活が終ってゆくのかな。」「皆マクドナルド的になってしまうのかしら。」モンブランが目近の前近代的なレストランでの我家の会話。アルプスの水みたいに抵抗がなく、それでいてひたすらおいしい白ワイン。人間が求める本当の景色の中で、本当の味に巡り逢いながら。
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