アルゼンチンつれづれ(127) 1989年06月号

アメリカ車事情

 日本で、アルゼンチンで、生きてきた日々、警察とは、頼もしい存在としてこの世にあり、自分との係り合いなど無いものと思い込んできた。ところが、アメリカ生活二年ちょっと、満艦飾、フルセットの救急隊を、自分の為に騒がせるということを三回もしてしまったのだ。アメリカに住むということが、よほど下手で合ってない人間なんだなあと思う。
 まず一回目は、我家に泥棒の騒動。次は、玉由のセキュリティ装置誤操作、すっかり解除して出かけたにもかかわらず、中央のコンピューターが察知し、指令を出したとか、救急車、パトカー何台か、留守にした我家の三階の窓を梯子車でもってこじ開け、中の様子を調べた!という大騒動があったとか、出先に知らせがあり魂消た。この時は、罰金50ドルのチェックを警察に送った。セキュリティシステムとは、いざの時、このようにして助けてくれるのだ、と知る。
 さて三回目。玉由の時、麻薬だ、ギャングだ、と恐ろしかった同じ学校に由野を通わせる親も親だけれど、由野については、優等生のお誉めがあるばかりで、恐ろしい話は何もない。いかにこの二人が同じに育てて同じでないか。その学校への由野の送り迎えが、免許取りたての子達とか、子供のことに目が眩んで前後関係が見えない親達の集団で“危ない危ない”とは言っていたのだが、気が付くと、私の車のフロントにデカイバンが乗っかって目の前に輪っぱがクルクル回ってた。
見かけは、物凄い事故だから、誰からかの通報で、すぐピポピポウーウー。私は、潰れた車の中で“事故の時は”という本を取り出して読み、まずエンジンを切る!に従い、誰も怪我のないのを確かめに車の外に出て足が疎んだ。パトカーが五、六台、オートバイのお巡りさん多数、救急車、なぜか梯子車も、それからクレーン車…道は通行止め。
 この世に、他の車が走っているということを忘れてしまった相手が、私の隣り車線から急にUターンを思いたったわけで“事故の時いくら悪くても決してあやまってはいけない”といわれているアメリカ人が「ソーリー、ソーリー。」言っていた。
 修理代、直している間のレンタカー代、警察への罰金も相手が全部払った。だけど、いくら自分が気を付けても、降って湧くことがある恐さに、しばらく動揺した。だのに、現実は厳しい、我家のガレージに玉由の車が加わった。
 「お母さんは、玉由の悪振りに散々困ったのに、どうして“良い子ね”って良いことしか言わなかったの。」と私を試すごとく。三才から反抗を始め、ずっと跡切れることなく反抗のしっぱなし。普通、反抗期という時があっても、少しは平静に育つ時期だってあるだろうと思うのに…何とも激しい子だった。 ただ激しさだけだったら、疾っくにこちらの力尽きていたところだけれど、激しさの中にチョコッと見え隠れする“やさしさ”に、これじゃ本当の悪にはなりきれない、と叱り論じ、励まし…。
 由野は、物心つくと、私と玉由の葛藤を見て育ったから、さっさとその辺を避けて通り素直すぎ、真面目すぎ、「そんなの面白くないから、もっとリラックスして生きなよ」などと文旬を言う程。
 「人に対してやさしくなれなかったら車を運転してはいけない。」って言い続けてきて そして、玉由が「もう反抗期は終った。」と自ら宣言した。私の、出来る限りをしたのだから、もう信じていられる。

 
 

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