アルゼンチンつれづれ(139) 1990年06月号日本へ帰る 日本へ帰るとなると、いつも一家で揉めることは、“何処に泊まるか”ということ。田園調布の子供達の祖母の所、私の兄弟の家。友人達だって皆“おいで”と言ってくれている。だけど、日本のあわただしい生活を知っていると、とてもその中に割り込んで行くなんてそんな迷惑なこと出来ない。その都度一番滞在目的に合ったホテルにすることが合理的で、私は一人の時などは強行に実行してしまうけれど、一家揃っての日本へとなると、そうも言っていられないことにもなり……私達って「もう日本へは“帰る”という資格なんかなくなってしまったんだ」と落ち込み、考え込むわけですが……たちまち日本談義にすりかわり、「こんな風に考えた方が絶対合理的だ、ということでも日本では、それじゃいけないこといっぱいあるのね」「もう上手に合わせられない所も出来てしまった」「それでも日本は大発展したんだから、日本風が正しいんじゃないの」「こんなに日本人中心の考えしてて、よくまあ世界一になれたものね」「つまるところ、隣り近所に負けまいとするエネルギーが盛り上がって国の力になったんだ」「日本人より働かないで勉強しないで、それで楽しくて立派な生活している外国をあまり沢山見たから、日本の中で、よいしょ、よいしょすることの意味を考えてしまうよ」「日本人に生まれたら、日本に住んで、外国の一番おもしろい所だけを旅行して……なんてのが一番幸せなんじゃないかな」「日本に住んでいると忘れられる日本人ということも、外国に住むと常に“日本人の身の程”がこびりついてしまって」「だけど、日本へ帰るってことはいいなあ」「そのことのためだけに外国に住んでいるみたいなところあるね」などなど、勝手気儘に言い合いながら日本に到着。 |
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