アルゼンチンつれづれ(148) 1991年03月号

戦争へ

 玉由「日本でインターナショナルスクールに行ってた時、イラクの友達がいて、イラクという国を知ったよ。仲良しだったから、イラクにも彼と同じような良い人がいっぱい居るんだと思いつくよ。彼、どうしているかな! 玉由と同じだから丁度兵隊さんの年だ。どこか戦争じゃない所にいてくれると良いんだけど」
 玉由「アメリカの兵隊さんのインタビューを聞いていると、『なるべく沢山のイラク人を殺したい』って言っているよ。どうして人を殺す、なんてことが平気で思えるの! 戦争って人間を変にしちゃうんだね」
 アメリカの学校に通ったのだから、玉由の知ってる子達が沢山兵隊さんになっているし、由野のボーイフレンドも本当に良い子。アニメが好きで、“兵役が終ったらディズニープロに入りたい”などとアニメ入りの手紙が来てたのを由野が見せてくれたっけ。あの子達に“人を殺せ”だなんて…。
“殺される”かも…。
玉由「今、アメリカでは、兵役のがれを作る弁護士が一番はやっているんだよ」
いよいよ戦闘が始まるからと、輸血用の血液を沢山戦場へ送る映像を見ていて、堪らなくなった。みんなみんな遣り切れない映像ばかりだけれど、見ないで逃げているのも卑怯な気がする。無力なりに心を痛めていなければいけない。献血くらいは出来ると思ったのに“体重50キロ以下はだめ”と断わられた。 男とは、生み育てるということに対して大きな実感がなく、人を傷つけ、殺したり出来るのかな、と思ってみたけれど、サッチャーさんもフォークランド戦争を始めて、沢山の人が死んだ。男、女には関係なく、偉くなると、人の痛みより優先した思惑……。
 作り過ぎてしまった戦争用品を消費しなければならないとか、国民の不満の鋒先を変える目的もあるかもしれない。面目、威信なども加わるだろうし、一人一人の人間に各々の心があることなんかに構っちゃいられないんだ。
 いつの世の、どんな戦いも、一番係わりのない辺りの人達が苦しめられる。この辺が嫌い。戦いをしたい張本人同士で決闘なり、ジャンケンなりして争えばいいのに。それがだめなら、開戦と同時に、お互いの戦争準備の手の内を机上に広げ、今風ならコンピューターにインプットして、テレビゲームみたいに相殺してゆき、勝った方が勝、負けは負け。これだけ全ての面で進んだ世になり、今さら国を壊してみなくても、人を殺してみなくても、地球を汚しに汚さなくても……コンピューターが上手に終結させてくれる。
 コンピューターの中だけで戦をするように日本が役に立つべきだった。得意な平和憲法とお金で平和を買えばよかったのに。遅れに遅れて、どうしようもない戦になってしまった戦争を少し買うなんて……。
それから、早急にガソリンというエネルギーに頼ることをやめようとしなければいけない。多少能率が悪く、進歩しない世の中になったからといって、今以上に急速に変ってゆく地球を喜ぶ人なんて居ないと思う。運んで零し、使って空気を汚し……あげくにお金に絡んで気が狂う。石油が無用の長物となれば争いは減るかも… 。
戦争に使われるべくしたエネルギーは、大陽なり、各国の身辺でまかなえるような新しいエネルギーの開発とか、砂漠の緑化、地球を汚す為にだけ生まれてくるのではなく、地球を楽しみつつ生きるべく、世界人類の教育強化に向けるとか……。
私がこんな戯言をしてみたところでしょうがないことと知りつつ、戦争という重さに耐えかねて。

 
 

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