アルゼンチンつれづれ(147) 1991年02月号
由野へ
由野「日本のお茶を送って。それから、羊羹もあんパンも。出来たら、梅干し、海苔、お味噌汁もインスタントでいいから……」とスイスからコレクトコールしてくる由野。ここはアメリカだというのにこの日本ねだり。
私「いいかげんにしなさい。不自由をすること、思い憧れること、我慢すること……この経験はとってもいいものよ。貴女にとって」とはいいつつ、日本マーケットまで出掛けて、何かしら送ってしまう私。
由野「お母さん、大変大変。由野のボーイフレンドがサウジアラビアに戦争に行ったの。戦争なんかにならないよね。戦争止めさせて」
「貴女にも私にも、どうしようもないんだから、中東のニュース見ないようにしてなさい」としか忠告出来なかった。
お金で貢献と済ませること、命で係わること、とても物思わせる出来事だった。
由野「お母さん、ソビエトって美術館と博物館と教会ばっかし。ソビエトのことは別にして、この旅行で友達がいっぱいできたよ。昼間バスの中でウトウトして夜中に騒ぐの」 マーケットに物が無く、そして並ぶソビエトの人々の映像をテレビで見つつ、わが子等の不謹慎さに身が縮む。
由野「クリスマスパーティーのドレス送って」
あの子寒がりだし、奇抜なの着ないし……面白くない。それでも人並にはしてやらねばと探した。十七歳用のドレスを私が着てみて決めた。
由野「キャー冷たい!友達が雪投げてるの」
私「何か急用あるの? なかったら電話をやめて、貴女も雪投げ返しなさい」
ヨーロッパに寒波のニュースが聞えていた。
そして、「今から学校を出る」「ジュネーブから飛行機に乗るところ」「途中のワシントンに着いた」「LAエアポートにいるけど、荷物がなかなか出てこない」と、一緒に旅をしている程の実況報告がありつつ、由野が四ヵ月振りに帰ってきた。
ちょっとフックラして、いかにものんびりしていた様子。玉由と私、たちまち由野の保護者ぶりを発揮して引き締めたくなる。
「由野!これして」「あれして」「由野が出掛けるとすぐ壊れて困ってたの。直して」「由野!ショッピングに行こう」「食事に出掛けよう」「この洋服着てごらん」「髪形を変えなよ」「爪に変な色塗るな」
「ダイエット!」
「これだから逃げ出していったのに、まだやっばり同じか!」と由野に呆れられ、あきらめられて玉由と私。
由野だって話しだしたら止まらない。
「寮の隣の部屋に仲良しの子がいて“ヤア”なんて言ってたのに、アフリカの国のプリンセスだったよ。ちっとも鼻高くなくて、だけど一緒に出掛けるとガードマンの車が三台も付いてくるの」
「いろいろな国の子達がいて、各々の言葉があって、悪い言葉ならずいぶん沢山の国の覚えたよ」
「日本の留学斡旋会社から送られてきてる日本の子達が沢山いて、日本の学校に合わなく、やめたり、退学させられたり……そんな子ばかりなんだけど、皆面白い性格してる」 「だけど日本の子は、ローレックスとかカルチェとか、とにかくブランド名でぎっしりかためてて、由野みたいに玉由とお母さんのお古ばかり着てる子なんていやしない。だけど由野はお古が身体にやさしくて好き。好きなことするのが一番好き」
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