アルゼンチンつれづれ(146) 1991年新年号
玉由へ
玉由「もう、これ以上、お母さんの時間もお金も使えない。どこか遠くへ行って、自分で働きながら何とか生きてゆくから、見捨てて」
と、目に涙をためて。
私「どうして急に出てゆきたくなったの」玉由「今まで、“お母さんに無理やりスケートをさせられている”ということで、玉由の思いつく限りの悪や、低抗をして困らせようとした。お母さんが作ってくれたチャンスは、みんなみんな玉由が打ち壊してきた。だけど、気が付いたんだ。誰に言われなくとも玉由はスケートが好きだ。才能もあると思う。スケートが無くては生きてゆかれない気がする程。気付いてから、本当に必死で取り組んできた。だけど、何かが噛み合わないんだよ。良い結果に結びつかない…。このまんま、お母さんを喜ばせるところまで行き着けないかもしれない……。それを思うとたまらないんだ。お母さんの時間を台無しにしてしまったことが辛いんだ。こんなにも大きな犠牲を払わせてまで……」
私「私は、貴女といた時間中、これ以上はないいとおしみの心を知り、無低抗から低抗へ、そしてやさしさが残り……本当の人間へと育つさま、貴女のおかげで、私に必要な心をいっぱい自分の物にした。感謝ばかりで、何が犠牲なものですか。結果より、取り組んでいる貴女を見ているのは嬉しい。考え方、環境、表現方法、人それぞれに違うけれど、地球始まって以来の親が子供に対して出来る限りのことをしたい、する、ということは生物の法則なのだから。動物だって、魚、物思いそうもない植物も煎じ詰めれば……だから“親がこんなに”と負担に思うことはないのよ。貴女が中途で私を拒否して出ていってしまえば、そのことの方がお互いどれだけ傷つくことか。どこまで逃げていっても、私と貴女の親と子という関係はなくならないんだから。アルゼンチンで、辞書を持ち、一人で病院へ行き、東洋人を初めて診るというお医者さんに、生まれてくる私の赤ちゃんには蒙古班のあることを説明し(女の子だったらすぐ耳に穴を明ける習慣に)、私の赤ちゃんに限っては耳に穴を開けないで! と頼み……そして小さな小さな貴女を受取った時、本当にびっくりした。あまりの小ささに。“守ってあげなくては、守ってあげなくては”……あの時の初心が今に続いて。外国で生まれたことをハンディにさせないように、私の経験を総動員し、その時々考えられる最善を選んで貴女を育ててきた。だけど、私の独り善がりは、世の中の普通の常識じゃなかったかもしれないことと、貴女の才能を頂点にまで導いてあげられなかった私の未熟さは、本当にごめんなさい。こんなに大きくなって、もう私が指図なんかする次元じゃなくなった。今、玉由に何が必要か、自分でしっかり考えられるんだから、自信を持って、思いどおりに生きてゆきなさい。ちょっと真面目に親子しすぎちゃったね。お互い解放しあって、そして一番近い人間同士という関係を楽しもうよ。スケートも楽しまなくちゃあ」
玉由「玉由は、この家に居てもいいの?スケートを続けててもいいの?」
私「もちろん今はね。だけど、学校を終えたら誰に頼るということなしに、自分の仕事ということをして、自分の力で自分のしたいことを手に入れるのよ。貴女が考え、貴女が作る貴女の未来が楽しみだわ。私の未来だって、二人の人間を育ててきた経験をしっかり利用して、私自身にとって魅力のあるものにしてゆくわ」
玉由「話して良かった。軽くなれた。これからも話すことがいっぱいでてくるね、きっと」
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