アルゼンチンつれづれ(166) 1992年09月号

日本で由野がアルバイト

 由野がアルバイトや就職の情報誌を何冊も買い込んだ。仕事を探す本だなんて、とても思い及ばないような、今風で、いとも詳細に情報化された日本の求職状況に驚く。
 日本での、夏休みかたがた収入を得る、という体験をしたい由野の行動をただ眺めていた。
 短い間のことゆえ“ハンバーガーを売る”とか、それに類したアルバイトしか見当らないと知ると、今度は、外国人が日本で仕事や情報を得るための求職広告が出ている英字新聞、英字週刊誌を探してきて、「やっぱりこの辺だね」と日本における自分の位置を決めた。
 日本の博物館で、英語、フランス語、スペィン語、日本語でわかる人を探していた。由野にぴったしだからちょっと試してみると、苦労して履歴書を書いた。「そういえば履歴書など私だって書いたことない。本当のことを書けばいいんだよ」
 四ヵ国語が使えるようになったアルゼンチン、日本、アメリカ、スイスでの学歴を書き、日本の正式な履歴書が完成し、投函された。
 しばらくして、由野の働く期間があまりに短すぎるという理由で不採用となり、「仕事探すの大変なんだ」と、しょげていたけれど、絶対身内に頼まないで仕事を見つける、という由野の初志は貫かれて、英会話スクールに職をみつけてきた。 出張授業の最初の日、人に教えるような服装をしていかなくてもいいのかしら、との私を後目に、ジーンズ、Tシャツ、野球帽で、どうみても高校生風で出かけていった。
 「おじさんやおばさん達が十人程のクラスだったよ。年上の人がお茶を入れようとしていたから、すっとんでって手伝おうとしたら、先生はいいんです、って言われたの。誰のことかと思ったら、由野が先生なんだって」 「お母さんが、アメリカで英語に困っていたこと見てたから、日本の人が、どこでどう英語に困るか、どう教えてあげたら良いのか由野にはよくわかるわけよ」
 「今日はね、電話の掛け方をしたの。ホテルや飛行機の予約の仕方。外人が英語で話すことを全部聞こうとしたら、わからなくてドギマギするだけ。どうせ決ったこと言うのだから、落着いて、その中の単語を一つでもキャッチ出来たら、あとは自分の言いたいことを言えぱ良いの、って教えてあげたの」
 「レストランで、全部食べきれない時、犬に持ってゆく、と持ち帰りにすることを(もちろん自分で食べるんだけれど)“ドギーバッグにして”という話をしたら、皆いっせいに由野の言うとおりにノートしたの。日本の人って真面目ね」
 会話の先生の他にも、日本語を英語に翻訳する仕事が沢山わが家に持ち込まれ、私も少しは参加した。
 会社を作る定款とか、従業員賞罰の規定とか、常に使う言葉ではない、由野が聞いたこともない漢字がぎっしりで、肝心の私がまず辞書を引きつつ、何とか意昧を説明すると、英語では、そういった文を書いたことがあると、スラスラ英語にしていった。
 健康診断書を訳した日があった。専門用語の上に、恐ろしい病名が次々出てきて、由野も私も病気になりそうになってしまったり。 若いってすごい。次からの同じような書類は彼女が一人で訳した。
 「気分転換にコンサートに行ってくる。給料をいただいたから、自分のお金で行くから。でもね、音楽聞いて食事をすると、由野が一週間働いたお金が全部なくなるの」
 その晩おそく彼女は帰ってきた。

 
 

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