アルゼンチンつれづれ(170) 1993年新年号
集ってサンクスギビング
とまどいと恥かしさを無規するように、私の随筆集『地球にて』が独立していった。
次に移ってゆく困惑の時に、由野からの国際電話があった。
「サンクスギビングの休みが一週間あるから、カリフォルニアの玉由の所で過ごすね。お父さんもシカゴに用事があるから、その日にはカリフォルニアに寄ってゆかれるって。だから、お母さんも来てね」 斯くして、本当に、久し振りに、わが家族という四人が一ヵ所に何時間かを集うこととなった。
十一月二十四日の夕刻、ボストンからアトランタを経由して、同じアメリカ内とはいえ三時間の時差のもと、八時間をかけて、由野がLA空港に着いた。それは玉由が迎えた。 次の二十五日、私が、日本から日付変更線を越えての十時間を飛んでLAに着いた。玉由と由野がそろって迎えてくれた。
空港で母娘が走り寄って抱き合ってしまうのは、かなり日本離れしているけれど、無理なことをしているという感じでもないのは、外国生まれの故かしら。大きくなってしまった子供達と体温をわかつのは、こんな時にしかないのだから、私だってテレもせず……。 そして、サンクスギビング当日の早朝、今は真夏の南米ブラジル、サンパウロからダイレクトフライト。地球も狭くなって十二時間の飛行、子供達の父親の到着。
家中の目覚し時計が鳴って、全員で迎えに行った。
アメリカ生活の歴史のない我が家ではあるけれど、離れて暮す家族がサンクスギビングに集うというアメリカの習慣に従って、アメリカに住む玉由と由野をひとりぼっちにしておくわけにはいかない。要所要所を確かめ合って、それで家族。
「せっかくみんなが集まる。ご馳走は何にしようか」
「やはりアメリカ流にターキーを焼いて」 さっそく、二十ポンド、約十キログラムのターキーを買ってきた。クックブックによれば、バターや脂っぽい物がかなり参加する料理だけれど、ダイエット中の要望を受け入れて我が家オリジナルレシピとする。
玉由の一人暮しのガランガランの巨大な冷蔵庫に首を突っ込んで、ジャガイモ三個、タマネギ二個、レモン三個、リンゴ三個、オレンジ五個、ありったけで何とかしよう。
ターキーをよく洗う。ぺーパータオルで水気をふき取り、レモン汁をまんべんなくすり込むように。それから塩少々を振りかけて下ごしらえは終り。オーブンヘ。すぐ焦げないようにアルミ箔をターキーの上に乗せて。
『トゥール・ダルジャンの鴨のオレンジ煮』がポッと頭に浮いたから、オレンジを絞り、オレンジジュースをターキーにかけながら三時間。鴨と七面鳥、同じ鳥のよしみで。
「ハッピー・サンクスギビングデイ」の電話が掛かったり掛けたりが忙しい玉由が、「家族がそろっているの」とか、「母がターキーを焼いているの」と言っているのが聞えてくる。
焼けかかっているターキーのまわりに、リンゴや玉葱、蒸しておいたジャガイモを並べ、またオレンジをかけかけして焼くこと一時間。合計四時間、きれいに焼きあがった。
焼けたリンゴをソースがわりに。オレンジの香がほのかなターキ。しっとりとさっぱりと、とてもよかった。
「お母さん、大成功だね。我が家のターキーの味が出来た」。
もちろん、シャンペンがはじけている。家族ごっこも良いもんだ。
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