アルゼンチンつれづれ(169) 1992年12月号
「地球にて」
「体操を止めてから何年もたったのに、まだ背骨や腰が痛いの。一生続くのかな」
由野が時々訴える。なるべく言わないようにしていてくれることがわかっていて……玉由もやはり腰や足首に幾つもの不自由をもっている。
私が子供達を壊してしまった。くじけたり、怖がったりして、止めてしまうことをもっとも戒めた。
躰が不自由になってでも、二回転ジャンプをすることや、一つの技を身に付けるまで、何百回、何千回とも跳び上がった躰を、そのまま氷の上にたたきつけるような恐ろしいことを強いていた日のことが、今たまらない。 こんな過ぎた日への手遅れの反省をしてみたとて、どうにもなるわけでもないけれど、「私が何を思ってこんなことをしていたか」に連なってゆくことをチビチビと書いていたものが溜まっていた。父の所蔵の岡本癖三酔との交換ハガキの俳旬の発表先を探していて出遇った出版社の社長が、このこととは別に、あまりに妙な私の生き方に、「並ではないことをしてきてしまったこと、外国へ行き、その未知の国で仕事をし、子供を育て……生きてきたことを書いてごらんなさい」と勧めてくださった。書くには書くけれど、どうまとめたら良いのかとまどっていたのを、章を区切ったりとお膳立てをしてくださったから、後は、ぬり絵のように、字を埋めてゆけばよかった。
ちょっと欲張りすぎたけれど、各随筆に短歌を添えることになり、新しく作り出したり、今までのものでうまく添うものはそれを選び出し……そして、一冊の本のかたちとなってきた。
「私のことが書いてある本だから自分で装丁をする」という我が儘も、どんな絵が描けるかもしれない私を信じて、任せてくださった。
スケッチブックをビリビリ破いて持っていった裸婦クロッキーをカットに使いたいと頼んだ。この不似合いみたいな取り合わせに、あっけにとられておられたけれど、あきらめてしまわれたか、受け入れてくださった。
本の題は、なかなか決まらなかった。あれこれ、何を考え出しても好きではなく、おかしなことだけれど、以前出版した歌集と同じ『地球にて』に決めた。
歌集『地球にて』はU、V……と続き、随筆の『地球にて』は2、3……と続けてゆくことにすればいい。
校正ということも、今まで知らなかった。原稿用紙に書いたものが活字になって帰ってきて、私が書いたものと、音読みはかろうじて同じだけれど、とてつもなく変テコリンな漢字が当てはまっていた箇所が幾つかあり、おどろき魂消た。
これが、ワープロで仕事をすることと知る。私は、ちびた鉛筆で書くのが性に合っている。自分がキーをたたいてまでも、物を書こうとするとは思えない。
最後になって、私の経歴が「要る」「要らない」ということに意見がわかれた。私は、注釈付の短歌や俳旬が好きではないから、文についても、前も後も顔も出すことなく、“文”だけで読んでいただくォ。というようにしたかった。
そして、我が儘を集結した、ほぼ思いどおりの本が完成した。今は、一つの“ざんげ”を終え、次に移ってゆきたい気持にはやる。
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