アルゼンチンつれづれ(174) 1993年05月号

香港

 台湾台北からまた飛行機に乗って一時間半程、「ネオンが騒々しく映る水の中に着水してしまう!」と思ったのは、香港の空港であった。寒かった日本より、ずいぶん南へ来たようで、夜風がかなり暖かい。
一夜寝て、香港で最初にしたことは、中華人民共和国へ入国ビザをもらうこと。
中国入国の目的は、香港と中国本土広州の境に作られた特別工業区という、中国本土が資本主義に接する最前線の特別な地域のことで、そこにあるテレビ工場を訪ねようというのです。
ビザ発給のための必要書類は、外国なのに日本語をそのまま書けばよかったことが妙で、古い古い中国と日本の関係を思った。アルゼンチンの人は、スペイン語で書く用紙はなく、英語で書き込んだ。
 そして、首尾よく中国入国が許された。
香港からごく普通の電車に乗ると、宇宙都市かとも思ってしまうビル林立の景色が続いて、アルゼンチンの人も私も、今までの「中国」というイメージが大きくずれていることを知り、「うーん」とうなったまんま深州駅に着いた。
 ここで、アルゼンチン向けにテレビを作っている工場を訪ねるのだけれど、タクシーに乗って走り出した景色に驚きは増すばかり。それは立派な工場群、出来たばかりの建物、まだ作りかけ、工場予定地らしき広場……生木はずったずった切り倒され、わざわざ砂漠みたいにした砂ぼこりっぽい所に、植物のかわりの超工場がニョキニョキと立ち並ぶ。 このすごい建築現場の足場が、鉄のパイプではなく、竹を組んでの竹の足場が、天にも昇ってゆくような……。アンバランスが中国なのだ、と見とれてしまう。
 最新設備の長い製造コンベアーがこぢんまりと見える程の大きな建物。日本向け、アメリカ、アフリカ、南米へ……と一つの工場内の異なったラインから、依頼国、依頼会社のマークのテレビが出来上り、各々に印刷されたパッケージをされて、どんどん輸出されてゆく。
 深洲工業区に住み、働いている人は、中国のエリートと聞いた。その特別エリートの月給がアメリカドルに換算すると三十ドルだそうだ。手先も頭も器用で、労働という意識がラテン的でないこの廉価な人材に、香港、台湾、アメリカ、日本……世界は、ワンサワンサと資本投資をし、とにかく大きなお金が今中国に集まってきているのだそうだ。
 極く高度な、特殊な物をのぞき、もうすぐ世界中の製造ということは、中国に集まってしまうという予感がする。
せっかくの中国。広州まで行ってみることにする。
新幹線みたいに速くはないから、三時間ほどの汽車の窓からは、潅灘のゆきとどいた中国野莱の畑がよく見えた。
何が植えられているか。働く人が裸足であるとか、ズボンをたくしあげているさま。菅笠、天秤棒で物を運んでいる。大きな如雨露で水をあげている。畦にはバナナやパパイアが実をつけ、時々水牛もいたりして。「なぜ白いの?」と見れば、アヒルが百と飼われ、ガチョウも混じったりする。
 細やかに手入れされ、なつかしいような畑が見ゆる限り続く。
 十五億人ともいわれる中国の人口を養っている畑が、あまりにも美しかったことが私の心に深い。           つづく

 
 

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