アルゼンチンつれづれ(175) 1993年06月号
中国
「どんな所に行き着いてしまうのか」「どんな曠野で一夜を過ごすことになるのか」「不自由ばかりがあるだろう」と、悲槍感が支配して着いた広州の駅からタクシーに乗って……。巨大なビルが建ち並ぶ町並を走り、着いたのは、まだ開業何日目かという超近代的な六十四階建てホテルだった。
建物の上の方が外人専用で、私達外国人は六十階の部屋が割り当てられた。
部屋の調度設備は世界の一流。今見てきた深洲で作っている、何国の、どこ向きでもござれというテレビではなく、日本の有名メーカー製の外国チャンネルがついているテレピが置かれてあった。
「豚がお尻をなめにくる」というトイレの話を聞いていた中国で、バスタブたっぷりの湯に、香りと泡を満たし……。真白な厚く大きなバスタオルだった。
「いったい私は、どこで何をしているのかしら……」と何度も何度も思うのでした。窓からの景色は、雲が棚引き、下界の幾多を隠していた。ロビーに降りると、誰も使わない灰皿をひたすら取り変える作業をしている……とか、持場を忠実に守っている人達を横目に、彼等の月給の何十倍もするディナーを、事も無げに平らげた私達です。
何を見張るのか、至る所から目が光っており、私の部屋も二十四時間見張られていた。ドアののぞき窓から、私も見張りを見張ったのだから。
次の日、広州ツアーをホテルに頼んだ風に出来上ったものではなく、普通の人のための、常の市場へ連れていってもらうことにした。 市場に辿り着くまでの道中、とにかく人、人。自転車に乗って、歩いて、老いも若きも女も予供も、いったいどこへ、何をするために大移動をしているのかしら。
着いた市場も、もちろん人、人、人。
まず乾いた物。漢方に、調味料に……。みごとに何もかも干してしまい、蛇がとぐろを巻いたまま乾いていた。ミミズも蜥蜴ももちろん、木の皮、根、実、草々、花々、ありとあらゆる物が……。この辺りでは、中国四千年を味わったのですが、生きた物の方に歩みを進めると、身も心も硬直してしまった。冷蔵設備の故だろうか、動物が皆、生きたまま檻に入れられ、肉付きを確かめられ、その場で、ずったずったと食料品になってゆく。動物の種類もすさまじかった。
今の日本のペット猫とちがい、食糧っぽくないガリガリした猫、ポチみたいな犬、鹿、鼠、栗鼠、狐、狸、山羊、兎、鶏、鳩、蛇、亀、すっぽん……。もちろん、もう肉となってしまったもの、解体中……。並べてある動物に餌をやっている風景もあった。
現場を見ないだけで、私達だって何でも食べてしまっているのに、この動揺。
アルゼンチンの人も私も、「変な動物が来た」とばかりに鑑に入れられて、このまんま中国から抜け出られないような緊張と恐怖感に、一目散、乗ってきた車に逃げ込んだ。
はやくはやく、広州の汽車の駅へ向けた。 旅行社を通したわけでもなく、勝手な思いつきで切符を買ってきてしまった訳で、誰も私達の所在を知らないのだから、居なくなってしまったらそれでおしまい。
乗った汽車が香港に向けて動きだした時、皆でやっと「怖かった」と声が出せた。中国の人口、パワー、大きさ、凄まじさ、変化……もう凄い。
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