アルゼンチンつれづれ(176) 1993年07月号
いったい何をしたいのか
日本中が花狂い。桜が咲き満ちる日本にいて、「今さら私の出る幕なし」という気持を通りこして、久し振りに「描いてみたい」という気持になった。
一枝の染井吉野と、一枝の山桜に向かう。桜にふさわしい和紙がアルゼンチンの家に沢山運んであったな……と思う。
細いシャープな線のための鼬(いたち)の筆だって大中小様々に用意してあるアルゼンチンの私の机を思い浮べる。
あんなにそろっているのにと、また買いにゆく気持にもなれず、不自由をしながら描いていて、このままずっと不自由でいるのがいやになった。
絵の道具だけではない、私の一生にと、生涯にあまるほどの品々を持っているというのに、自分の物であって、そして、今使いたいのに使えない。
アルゼンチンに、ロサンゼルスにと、分散したまま、スーツケースひとつで始めてしまって、何もないまま滞在している東京。
子供達の父親は、南米が肌に合って、アルゼンチン、ブラジル、そして外国が好き。
予供達は、それぞれに自分の目的に合った所を自分で選び、一人前になる努力をしている。
私は、日本に生れ育ち、外国にて暮しをたて、そして翔びまわり、今、自分自身になれる時がやってきて、ずっと考えていた。“いったい自分は何をしたいのか”
「外国に散らばっている私の物を一ヵ所に集め、父母の用意してくださった物を使いながらの本拠地を日本に作りたい」
思いたつと、たちまちアルゼンチンとロサンゼルスヘ私の物を持ちに出かけた。
アルゼンチンの家に着いて「アルゼンチンってどんな所だろうか」「この品々が、どのように使えるのかしら」と、荷造りしたその昔が偲ばれる物がどっと出てきた。
運んだだけで一度も使わなかった物。ほんの一、二度使ったきり、奥深く仕舞い込んでしまった物。
あまりにも懐かしく、あまりにも大切な、こんなにもの夢や希望をなおざりにしてしまっていたことに直面した。
「アルゼンチンは広い国だから」と、フル装備の織機を四台も持ってゆき、結局そんな悠長なことをしていられる暇はなく、地下の倉庫へ入れたままになっているのは、どうしたらよいのだろう。
日本に持ち帰ったって、もっと置く所なんてないのだし、「アルゼンチンのオリエンタル美術館に寄付をしようかな」と玉由に相談の電話をしたら、「え! お母さんは織物をしていたの? 機がうちにあったことなんて知らなかったよ」
何でも知り、何でも理解し合っていると思い込んでいた娘が、ちょっと前の私の何にも知らないことを知らされた。
「玉由に織物を教えて。玉由に機を頂戴。美術館より子供の方が先だよ。それに、そんな物持ち込んでちゃんと面倒みてもらえるの迷惑がるだけだよ」
いつか機を組立てて、玉由や由野に教えるなんて日が来るのだろうか。
そんな日まで、日本の焦げ色古い私の機達は、この世に存在出来るのだろうか。
迷いがまた一つ増え、決して昔になんか帰れはしないことを知っただけ。
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