アルゼンチンつれづれ(177) 1993年08月号

人種のこと@

 どうして「もう外国に住むのは嫌」と思い始めてしまったのかなと、自分自身のことなのに、改めて自分について考えてしまう。
 外国といっても、いろいろな国があるのだし、一つの国の中だって、地域や、たまたま住もうと決めた所で出遇う隣人によってでもたちまち感じ方や住み心地は違ってくるのだから、ひと言で何とか言えるものではないけれど、まずは私の知っている範囲のアルゼンチンについて思いを巡らせてみる。
 日本から一歩外へ出れば、習慣や言葉が違うことはあたりまえで、違いということが面白いのであって、他人の言うこと、自分の言いたいことが少しずつ何とはなしにわかってきて、「外国に住んでいる」という思いが新鮮だったこと。
 ちょっぴりひねられた笑顔に自分も参加して笑っていたり、私が作ったスペイン語のジョークを皆がいっせいに笑ってくれた日のこと。「とうとうやった!」と、大きな感動だった。
 言葉がわからなかったこと、可哀相な存在であった時、向うの立場が優越の場合までは人種差別ということはそれほどめだたないのだけれど、立場がジェラシーにかわったり、子供達の世界だったり、国の名前がかかってくると、たちまちそれは陰険になってくる。
 最年少の部ではあったけれど、由野が体操のアルゼンチンチャンピオンになった時も、技術点の計算をわざとまちがえてまでも一番にしたくはなかったし、また計算がまちがっていると指摘した人もいたりはしたけれど。 由野がまわりの圧迫を感じて、「自分が日本人の顔をしているのがいやだ」と泣いていた。そんな中に由野をおくことに、まず外国で住む、ということを思い知らされた。
 玉由が「小学校の時、外観が日本人であることですごくいじめられたんだよ。だから、あんな国を代表するのは絶対にいや」
 そこを何とか。「誠意は受け入れられる」と、愚かな私は、アルゼンチンと玉由を取り持って、何とか形を成そうと努力した。
 確実に「東洋人をアルゼンチンの代表にしたくない」という反対があった。人種差別を隠そうという偽善もあったけれど。
 好き好んで人種のことにタッチした子供達と私と、ズタズタに傷ついた。
 ちょいとよその国へ出かけていって、その国で働いて得たお金だから、と家を買い、工場を建て、そこの国の人達を使い……自分は命がけの努力をしているのだし、人々とはうまくいっているつもりではあったけれど、今思うと、これは、その国に対する大変な思いあがりだったのではないか。
 後に、工場や、それに連なる敷地を売ることになった時、アルゼンチンのカンポの、いわゆるガウチョという人がやってきて、私にお金を払った。
 「これでいいのだ。アルゼンチンにお返しする」とホッとしたのは確かだ。
 今回、私がアルゼンチンから自分の荷物を引きあげるにあたって、人種を越えてしまった友人達は、「ユリはアルゼンチンに必要なんだよ」と言ってくれたし、「ユリが日本へ行ってしまうのなら、今度は自分達が日本へ行かなくては」と……。
 そして、こんなにも遠い国と国の人間として知りあってしまったことを嘆き合うのだった。
人種のことは、感じないふりをしていられれば良いのだけれど、感じてしまうと本当に疲れることだなあ。 つづく

 
 

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