アルゼンチンつれづれ(184) 1994年03月号

国際電話

 私の二人の子供に、本当の英語を身につけさせるために引越ししていったロサンゼルスは、歩いて用を足すという、人間本来の発想はだめ。タクシーってこともだめ。運転手付き、もちろん身分じゃない。バスはあるけれど、あぶないから乗ってはいけないと言われていた。
 生涯自分で車を運転するなんてことはないと決めていた私が、ロサンゼルスの地図と共に運転席に収まり、子供達各々の学校への送迎、習い事に連れまわり、東京と横浜より離れている程の距離を日に何度でも……。とにかくどこにでも出没した。そのアメリカでの私の範囲だったところが大地震だとテレビが伝えていた。
 『わ! 大変、玉由が一人でいる』。国際電語にとびついた。すぐ玉由が出た。『よかった、電話通じて』
 「まだ揺れている。真っ暗なの。だけど、お母さんの子供だから懐中電燈は手に持っているよ」。真っ暗い大揺れの中に、ひとり茫然と立っていたようだ。
 「電気が切れているんじゃ、テレビはだめね。いつものウォークマンのラジオを聞きなさいよ。その辺どうなっているのか。便乗する悪い人がいるから外へ出ちゃだめ。いつものサンタモニカフリーウェイ壊れてしまったって。5号線もかなりだめなところあるらしいよ。すごい炎があがっているところ沢山ある」。真っ暗で揺れている現地の玉由より、日本のテレビを見ながらの私の方がずっと情報が多い。
 「上に突きあげるみたいな、こんな大きな地震はじめてだよ。ひとりでいるんだってすごく思うよ」
 「飛行場も閉鎖されているってことだし……」。私が行ったってもっと困る。役にもたたないし……せめて一緒にいるつもりで、せっせと電話をした。
 玉由が中学生だった頃、アメリカに一人ホームステイをさせた時、日本からの私の電話を終りにしないよう、玉由が必死に長びかせていた頃のことが甦った。
 一緒に居れば楽なのに、飛んでゆく飛行機代の方が、電話代よりずっと安かったのに。私、本当に正直だから、日本の諺が「かわいい子には旅をさせろ」っていうから。小さくて、可哀相で、ハラハラドキドキ、涙を流しながらでも突き放していろいろ経験させてきた。私が家に籠って案じている間に、どんどん私を越していった子供達。
 「不思議なほど玉由の家の中は何ともなかったの。もう何も困ってないけれど、家がなくなったり、まだ電気もガスもなくて困っている人がいっぱいいる。玉由にはどうすることも出来ないから、家で勉強しているよ」と少し落着いてきたと思ったら、今度はアメリカ東海岸、すなわち由野の居る辺りが大寒波で、零下20度とか30度とか。私、そんな温度経験したことない。もともと寒がりな由野がいったいどうしていることやら。もし電気やガスに何らかの支障があれば人間が確実に生きてはいられない温度だ。また国際電話に飛びつく。「ころんだら立ちあがれない程着込んでいるよ。目がでているだけ」「家のドアが凍って開けられなくて、隣の家を呼んでいる間に凍り死んだ人がいたって日本で報じていたの。由野、転んじゃいけないよ」
羽毛オーバーとホカロンと、温かくなれる物の小包はすぐさまボストンヘ。
じっと見守っていてはやれないような不可抗力な出来事にうろたえる。

 
 

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