アルゼンチンつれづれ(187) 1994年06月号
セリーナのアルゼンチンへ
「どこにいるの!日本なのどうしてそんなに遠くにいるの!いつごろに来られるの!はやく逢いにきて!」しばしば国際電話で話しているアルゼンチンのセリーナがいつも言う。 私のことを“娘”と思っていてくれるのに高齢なのに、世話になるだけ世話になって…「いつか何とか」とは思いつつも何も出来ないまま、「もう日本に住みたい」とセリーナの住むアルゼンチンからこれ以上は遠くはなれない日本に帰ってきてしまっている。
ブラジルから、たった一ケ所ではあるけれど私のサインが必要だと言ってきていることだし…そうだ、セリーナに逢いにゆこう。
私の場合、アルゼンチン発の航空券を持っており、日本が丁度折り返し点、折り返さないままもう一年近くたってしまっている。電話で、持っている航空券の日付けだけを予約すれば手続きは完了。たちまち飛んでいる飛行機の中。
成田からロサンゼルスまでは約十時間半、ロサンゼルスでマイアミ行の飛行機に乗り変える待ち時間が五時間、ロサンゼルスを飛び立つと5時間ほどでマイアミに着く。マイアミからアルゼンチン行の飛行機に乗り変えの待ち時間は二時間。マイアミからアルゼンチンまでの飛行時間は約十時間。時差や日付け変更線があり、何度同じコースを飛んでもいつも計算をまちがえて、だいたい三十時間くらいかしら。私がアルゼンチンに着く時は必ずセリーナが迎えてくれる。二人でしっかり肩を抱き、体温を確かめ合うように。
“ユリが来るから”とセリーナのヨーロッパ調クラシックな大きな住まいは、至る所にピンクのバラが飾られ、それはそれは素晴らしい。
セリーナの妹達、甥姪達、私が顔を覚えきれない程のセリーナの友人達…たちまち集まってきてくれてパーティが始まってしまう。 かつてそうだったように幾種類かのチーズやパンやクラッカー、ホワグラ等、アペリティフが始まり、皆グラスを片手に陽気になる。
台所をのぞきにゆくと“ユリが好きだから”とお手伝いにはさせないでセリーナ自らが作った茸入りのソースがコトコト煮えている。これは、ローストビーフにかけるとおいしいんです、とても、オーブンではもちろんアルゼンチンの大きな肉の塊りが焼けていて、もうたまらない匂い。
デザートも何種類も用意されていて、ケーキ類に混じって、セリーナと私の大好物の“甘いカボチャ”もちゃんとある。
サロンでは“これが一番新しく描いた絵、どう”“最近見付けたんだけど、この陶器の猫にツクツク大きな螢の模様がついているのよ”“木々草々のこと”“セリーナの日本旅行の思い出”“おしゃれのこと”……。
ひたすら以前のように。セリーナの心遣い、セリーナとの会話の中で、私も私の子供達も育っていった。
はじめてセリーナと出逢ったのは、訳もわからずアルゼンチンに着いてしまって涙ばかり流していた頃。セリーナが丁度今のわたしの年齢の頃。美しく、立派で、見上げるように大きかったセリーナが、私の中にすっぽり入ってしまいそうに小さくなってしまって。 ほとんど三十年間、セリーナは頼もしく、あこがれで、どんなに立派に室内装飾の仕事をしてきたことか。これから先の私の人生に、セリーナが教えてくれたことがキラリキラリと蘇って、私を華やがせてくれることでしょう。
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