アルゼンチンつれづれ(190) 1994年09月号

ひととまじわる

 今、日本で、日本語の中でしみじみと思い起すことは、「スペイン語が使われている国」という程度の認識で辿り着いてしまったアルゼンチンで、「何もわからない、何もわかってもらえない」本当に驚いた。情けなかった。気が狂う程のことだったのに“涙脆さ”が後遺症として残った程度で、何とか生き抜いた。
この私の戸惑いは、子供達には味わせたくない。私と同じことでの無駄な時を過させたくはない。日本人の私の子供なのだから、日本語に不自由があってはいけない。地球の上のいろいろな所でも不自由のないように。言葉ということへの格闘。子供達への愛の表現は、幾つかの国の言葉を身につけさせるということだった。非常に片寄った子育てをしてしまった。小さかった時は面食っていた子供達も、今になると「お母さん、ありがとう」と言ってくれて、私も子供達に「ありがとう」と思う本当に。
他国語については、各々の専門家にまかせたけれど、日本語は私自身が教えることしか方法はなかった。「私の日本語だけが全ての日本」という環境で、まづは私が確かでなくてはならない。日本の短歌に頼った。日本語の本も買えない、日本語の会話があるわけではない。何が歌ともわからず、自分の言いたいことだけ言っているという独りよがりを歌い続け、郵便事情の悪い国より日本の締切日までに送り届けるということの方に情熱を注がなければならなかった。
 今だったらファクシミリがあり、即座に届いてしまうというのに。太古の時代を生きていたみたいな気がしてしまう。
 かつて日本語の本があんなに欲しかったのに…今は何でもすぐ調べられる。百年前の本だって、その気になればすぐ読むことが出来る。ちょっと前には、もっとも贅沢だったことに、今は平気でなまけている。
 此頃思っていることは、言葉とは、文字とは、人間同志のコミュニケーションのためにあるのであって、独り閉じ篭っていじっているのではちょっとおかしい。もう散々一人遊びをしたから、これからは、もっともっと大きな範囲の日本語と触れ合いたい。
 子供達の日本留学といって日本に住んでいた時は、子供達が学校へ行っている時間帯は絵を描く友人達が集まってきてくれて、モデルに来てもらい、とにかく絵を描き、話し、横を向いて尺八を吹いていた人もいたけれど。そして最後にはお腹がいっぱいになるようなものを…そういえば私が作っていたなあ。…今また、皆に集まっていただけるような時を作りたいと思う。束京駅まで三十分程で行かれるような所に住んでいるから、スペースはまことに小さいけれど、歌について話すもよし、俳句、歴史、経済、政治、植物、うまい物−人間が係わっているすべての分野…何かひとこと言ってみようと思いたたれたら、どうかひとことおっしゃりにいらして下さい。 毎月の第3日曜日を、三河アララギ会の東京支部としてお待ちしています。三河アララギの会員とか、そういうことは問いません。電話、FAXして下さってもけっこうです。 そして、沢山言葉、豊かな文字に共に出逢いたい。良いものを正確にとらえられる良い読み手ともなってゆきたい。良い読み手があってこそ、良いものが生まれてゆくのだと思うのです。
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