アルゼンチンつれづれ(207) 1996年02月号

福井近雄 設楽かつみ夫妻

 「福井さんのお見舞かたがたクリスマスのご挨拶に行きたいんだ。どこへ行ったら良いのか教えて」とロサンゼルスの玉由から電話があった。
 「そう! 行ってくれるの、よかった!!」。私には、ただ気掛かりでいるばかりの日々だった。
 福井さんは脳腫瘍の手術をされた後、しばらくロサンゼルスでの自宅に帰っておられたけれど、右手が不自由で、「自分の事も、字を書く事も出来ないから看護施設に入院する…」との知らせがあったのは少し前の事だった。
 「きっと他の方達も一緒におられるような施設だと思うから、まわりの方達にお裾分け出来るチョコレートボンボンみたいな物を用意してね」
 「わかった。じゃ行ってくるから。後で報告するよ」。そしてしばらく、「大変。福井さん一ヵ月程前に亡くなってしまったんだって」と玉由の悲鳴が返ってきた。
 神様っていじわる。クリスマスにこんなニュースに出逢わせるなんて。だけど施設の人に、『クリスマスでも誰も見舞いに来てくれる人がいないような方がいますか?』って聞いたら『いますよ』と日系のおばあさんを紹介されたの……見知らぬ人だけれど、しばらくお話して、また来る約束をしたら、とても喜んでくれて……神様は玉由に新しい気持を下さったのかな……」
 私は、亡くなられたことも気付かずに「三河アララギ」を送っていた。
 三十年も前、私がアルゼンチンヘ移り住む途中のロサンゼルスで、三河アララギ会員の福井近雄、かつみ夫妻にお目にかかった。それからずっと、アルゼンチンから日本への行き来のたびに、何度も何度もお世話になった。いつも巨大な存在で優しく迎えてくださった。共に日本から弾け出してしまった者同士、考え方も性格も似ていて、本当に安心出来る場所だった。
 すべて車に頼らなければならないアメリカで、近雄氏は交通事故で亡くなられた。かつみ氏は一人ロサンゼルスに住みつつ、アララギ本誌の歌人として活躍しておられた。
 それから後、私は、子供達のアメリカ留学という名目でロサンゼルスに引越すと、一人住むかつみ氏を訪ねては、テーブルにいっぱいの日本料理をごちそうになった。沢山のことを話した。
 福井家の庭には、土屋文明、御津磯夫、三河アララギ会員と由緒正しく伝わったダチュラが根づき、花を咲かせていた。年中花が咲き、実が生っているカリフォルニアオレンジの木の横に、日本から移し植えた次郎柿の木も二本あり、柿の木はロサンゼルスに植えられても、年中実が生っているということはなく、日本と同じ秋に実った。私の子供達は、柿の木から柿を取ることを知り、そのおいしい、日本の味をも……。
 私の短歌と随筆について、毎月必ず評をしてくださった。かつみ氏の世代的ではない、無謀と若さを誉め楽しんでくださっていたから、いい気持になって歌い続け、書き続けてこられた。
 いよいよ私がロサンゼルスから日本に帰り住むことを決めた時、かつみ氏に「日本に帰りませんか!」と誘った。「私は、日本向きの性格ではないから、ここが気楽でいいの」とロサンゼルスを動こうとはされなかった。 「お母さん、福井さんのように年を取りなさいね」と、玉由がいつも言っていた。八十歳を越しておられたのに、背高くしゃんとして。はっきりご自分の言葉を話され、活発に行動をしておられた。それなのに……もう月々のたよりはいただけない。

 
 

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