アルゼンチンつれづれ(206) 1996年新年号
地球の上で、自分の力で
日本の企業が幾十社、一緒になって、海外で勉強している日本人、すなわち留学生の人材を求めるシステムが、いつの頃よりか出来ていたらしく、この時期、ニューヨークやボストン、サンフランシスコで『キャリア・フォーラム』が開かれる。
各大学の名簿から探すのでしょう、各々の企業が必要としている部門の学生に、期間中コンベンションセンターのブースに「履歴書を持参して面接に来てください」という案内状が届く。
玉由と由野にも幾つかの会社からの案内があり、「日本の会社事情も知ったほうが良いから参加してみたら!」ということになった。
面接にゆくのに、『普通のスーツ』を着てゆかなければ面接会場にすら入れてはくれないという大変なことで、私は、ボストンに着くなり子供達とそれぞれの着る物探しに出かけることとなった。
アメリカだというのに、フランス製、イタリア製…。今までの由野のジーンズスタイルとはすっかり雰囲気が変って、着る物の威カを知らされ、すでに仕事が出来る人のようなスーツが探せた。それに合わせて、靴もバッグも、ボストンではもうコートも必要だった。
同じに育てたつもりなのに、玉由はちょっと変った洋服でないと似合わない。普通の会社の面接向きではない感じのに決ってしまった。日本の人事担当者は、きっと玉由を真面目とは認めないだろう。
ピッカピッカ、私にまぶしく、二人は揃って『フォーラム』に出掛けていった。帰ってきた。行った。帰った。…この出来事は三日間掛りだった。
「まだ入社が決った訳でもない人達を集めて、一時間も自社説明をした会社があるんだよ。そんなのって失礼だと思うけどなあ」
「他人の会社の、自分に興味のないことなど覚えてみたって仕方がないじゃないの」
「他人の会社なのに、せっせと物を売らなければなんて。自分個人の会社の物を売るというのなら納得ゆくけれど…」
「会社の役にたつことだけが全てなんだ。自分好みのことをして給料をもらうという訳にはゆかないんだね」
「自分に向いた会社の、自分のやりたい仕事を探さないと」
「日本で勤めるんだと満員電車に乗るんでしょ。ちょっと無理すぎる」
「もし日本でお勤めするのだったら、お母さん、会社の隣に引越してね」
こんな会話の玉由と由野。日本人の常識ではありはしない。この子達が日本で働くのは無理かな、と思う。
それでも、今やグローバルとかいって地球規模を強調する日本の会社には、何ヵ国語もネイティブ並に使いこなせることは、気になる存在ではあったらしい。
「やっぱりロンドンで仕事をしてみたいから、サンクスギビングの休暇には、ロンドンで職探しをしてくるからね」と、ロンドン行きの口実をみつけだした由野。
そして、「ロンドンでアパート探したの。高台にあって、町中が見渡せるいいのが見つかったんだ。きっとそこに住めるような仕事をみつけるから」
まず国を選び、そして住まい。その後に仕事ということが登場した。
「自分の思いどおりになるように、って待ってるだけじゃらちあかないから、気になる会社に直接手紙出してみようと思うんだ」とは玉由。地球の上で。自分の力で。見守っている。
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