アルゼンチンつれづれ(205) 1995年12月号

由野のボストン

 「サンクスギビングの頃には雪が降るの。風が強いから、雪が真横に降るんだよ。零下十度とか二十度とか」。由野がボストンで四度目の冬を迎える。「いつでも行けるから」と、なかなか目的地をボストンに定めて出掛けることはなかったけれど、いよいよ来春由野はボストン大学を卒業する。
 「卒業したら何をすればいいの?」「大学院へ行こうかな!」。由野が選んだ勉強は、コンピューター・サイエンスという最先端の、刻一刻をも争う勉強なのだから、即、社会に役立ててゆかなくては意味がない。
 「とにかく人間の社会の仕事ということをしなさい。そして、後にもっと勉強したいとなれば大学院に戻ればいい。女の子だからといって、人のお金の範囲で生きるようなことをしてはいけない。自分の力で、自分の思うような生活をしなさい」「まず、一般的な洋服はあるの?」「夜出掛けるのとカジュアルなジーンズしか持っていない」「困ったね」「とにかく、そちらへ行くから」。斯くして私は、しばらく由野の家の居侯になった。
 世界中のどこへ行ってでも仕事をして暮らしてゆけるようにとの願いで育った由野は、ボストンらしい古い赤レンガの天井の高い家に住んでいた。私がイメージするアメリカは、どうしてもカルフォルニア。歩いている人はほとんど見あたらなくて、ひたすら車が走るだけの町を思いがちなのに、由野が考えた住む所はボストンの町の真中にあり、赤レンガ造りの家並をちょっと歩くと何の用事でも足りる。人々が行き交う。「今、私はどこに居るの…」。ヨーロッパにいる?という錯覚を起こしてしまう。「もうすぐに全部が雪の下」という町並には、アララギの赤い実がひときわ透明。柊も赤い実。木々は紅葉し、枯葉する。道々のマンホールからは白い湯気が噴きだして、『さあ、冬がくる』と、そんな時期。
 由野が朝のカプチーノを飲む店。私が行くから、とシーツを買った店。八百屋。肉屋。ちょっと直したい洋服を直してくれる店。その間には、世界のブランドの店。各国のレストラン。ホテル……。
 電車に乗って、はじめは地下鉄だったが二駅ほど地上に出ると、もうそこはボストン大学。大きく続き、立派なのに、「まったくひどい所に教室があるから、見てもらうのいやなんだ」と、最先端を学ぶらしくもない古ぼけた地下にコンピューターは並んでいた。「由野の学生生活は、この地下に通ったんだ」 週末を利用してカルフォルニアの玉由がボストンにやってきた。「来年の七月頃には卒業出来るかもしれないよ」とのんきなことを言っている。小さい時から、「世界を!」と混乱させてしまった私の子供達にとって、アメリカの勉強システムはとてもありがたい。玉由はビジネスを勉強したけれど、「やっぱり本来の目的、弁護士になりたいから、もっと大学を続けたい。今度の大学はハーバードにしようかと思って……ちょっとハーバードまで行ってくるね」とローラーブレードをはいて、すごいスピードで行ってしまった。「私もやっぱり見ておきたい」とタクシーに乗って追いかけた。
 ローラーブレードで切る風に、カリフォルニア育ちの玉由は、「こんな寒い所はとても無理だよ」。まだ秋の段階というのに早々と音をあげてしまっていた。
 ボストンって、私でもしっかり参加出来るような人間らしい町。
 生がきにレモンをかけて、白ワインで。丸いパンをくりぬいて熱いクラムチャウダーが入っていて、おいしかったなー。

 
 

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