アルゼンチンつれづれ(209) 1996年04月号
有田、伊万里、唐津
『日本の金型の技術は大変勝れている』ということで、ブラジル方面からの要望も多く、佐賀県にある金型の会社と仕事関係が続いている。そんな事情があり、私も四日間程の予定で佐賀県へ赴くことになった。
佐賀県について私の頭を占めていることは、有田、伊万里、唐津等の磁器、陶器の産地であること。工合が良いことに仕事の場は、そのほんの近くにあった。
まだ私が幼かった頃、父の所へ柿右衛門窯から、花器や壷や鉢や器等を持って訪ねてくることがあった。そして、白磁の観音様や花鳥の花びん等が父のもとに残った。心ときめかせてその様子にうろうろしたことを思い出す。そんな記憶以来、白磁の白さ、繊細さ、色絵は私の器への原点となり、食べる物は白磁に盛りたい、どんな所で、あの白い焼物は出来ているのだろうか……ずっと思い続けていた。
今現在は、アルゼンチンまで持って行って、また持って帰った九谷省三の茶碗を使っていて、大きさ、絵柄、使い心地、すべて気に入っているけれど、あまり毎日同じすぎるから、今回の佐賀行を、自分のための茶碗を一つ探す旅にしようと焦点を定めた。
佐賀県に着くと、『私が佐賀にいる間中、車で、どこにでも連れていって下さる』ということが、どういうわけか決っていた。
まず柿右衛門窯。茅ぶき屋根の家、庭、植木。あまりに美しく定まっていて感嘆。庭の中央に一本の古木の柿の木が極まっていた。目的の私の茶碗に及ぶと、新作絵柄は好きではなかったし、あまりの高価さで、私のこれから先の生きる日々で減価償却(?)が出来るのだろうかと妙なことを考えた。
町はみごとに陶磁器関係ばかりの様子。『ここにあったのですか』と名を知る窯元も多く、今右衛門窯、源右衛門窯……と訪ね、巡り、行く道の両側に並ぶ店には、赤絵、色絵錦手……大壷、大皿……有田に居ることをつくづく感じ入った。みごとな町。
今は掘り出してはいないというが、有田磁器の原点となった泉山の採石場も見にゆけた。江戸時代の有田焼次第の絵巻物とまったく同じ景色の中から、ポロポロもろい感じの石というか土というか……ピンと響くみごとな白磁となる石の山。
伊万里では、有田や伊万里の焼物が世界に向けて船積みされていった伊万里港が見たかった。世界を旅行してみて、いろんな所で有田の焼物に出遇ったのだから。
絵巻物とはすっかり異なってしまった伊万里川に沿ってずっと車を走らせた。
伊万里もまたとてつもない焼物所で、数限りない焼物の中からも、たった一つの自分の茶碗は見つけ出せなかった。
五十年前のこと。父は日本国の戦争に参加するための兵隊となって唐津に滞在した機会に、唐津焼、中里御茶わん窯の湯呑みを求め、携え、済州島に行ったのだという。そして、幸せなことに、唐津の湯呑みは今も父の辺にある。
やっと私は唐津にやってきて、中里窯を訪ね、父が見たであろうことに浸った。庭の巨木薮椿の花がみごとに咲いていた。ここでもまだ私の茶碗は見つけられないでいた。
佐賀の最後の夜、地酒を飲みつつ、店の主人に、とうとう自分の茶碗が見つけられなかった話をしたら、店で使っていた唐津の茶碗を下さった。自分では選ばない特異な茶碗だけれど、気に入って私の日常に加わった。
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